BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「新印象派」を紹介する。「新印象派」とゲームの「ドット絵」の共通点。

Hi!
今回は1880年代半ばに画家「ジョルジュ・スーラ」によって確立された
「新印象派
を紹介したい。
アートや絵画に馴染みがない人にとっては
新?印象派???
印象派」って奴の新しいバージョン?
なんだそれ?
って感じ程度だと思う。

しかし
待ってほしい!
「新印象派」の作品ってのは本当に美しいんだ!
そしてさらに、作品が美しいだけでなく
「新印象派」の作家たちの制作に対する「情熱」もまた、
最高にかっこいいんだ!
という訳で、
今回は「新印象派」の作家たちの作風と彼らの作品に対する情熱について語りたい。
また、
彼ら「新印象派」の作家たちの作風とテレビゲーム、主にスーパーファミコン後期の「ドット絵」との意外な共通点についても語りたい。

話は

  1. ざっくり「印象派」を解説
  2. 「新印象派」の魅力
  3. 印象派の「点描画」とテレビゲームの「ドット絵」の共通点

です。
(追記)
アイキャッチ画像を「新印象派」っぽいのに変更しました。ドット絵でフォント書いただけやけど。。

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 ざっくり「印象派」を解説

「新印象派」の魅力を語る前に、前知識として
印象派」とはなんぞや?
ってところをおさえる必要がある。
例えば「ドラゴンボール」で「スーパーサイヤ人3」の凄さについて説明する場合、
そもそも
スーパーサイヤ人」とはなんぞや?
ってところをおさえなければ、いまいち「超サイヤ人3」の強さを語りづらいのに似ている(笑)

はじめよう!
印象派」って言うのは1860年代から1890年代にフランスを中心におこった芸術運動である。
彼らは都会の人の日常生活を「色彩豊か」に「華やか」に描いた。
なんで「色彩豊か」に「華やか」に描いたって?

印象派が出るそれ以前、社会のありのままの日常を描こうと努めた
「ギュスターブ・クールベ」や「ジャン・フアンソワ・ミレー」たち「写実主義」の作家達がいた。
彼らの作品は非常に画期的だった。
当時、絵画っていうのは神話や聖書を題材にした「歴史画」(天使や王様)を描くのが常識だった。
しかし彼らは日常生活を営む労働者や農民の生活を描いたのだ。
だけど、、、
ちょっと暗かった。
彼らは現実に生活している労働者や農民の生活をありのままに描いた。
辛い作業。
苦しい労働。
朝から晩まで働き疲れ切った表情。
汚れた服。
おうふっ。
暗い。
。。。。
しらねぇよ!
もう暗いのは止めにしようぜ!
一瞬でもいいから、
もっと明るく華やかに楽しく軽快に行こうぜ!

って流れ。
こんな流れで「印象派」が光に満ちた、明るく軽快で甘いイメージを作り上げた。
印象派」の画家たちはパリのカフェ、競馬場など都会人の娯楽をモチーフとした。
また彼らは部屋に籠もって描くだけではなく外で絵を描いた。
その中で彼らは
光の流れ
光と共に移りゆく自然
時の流れと共にうつろいゆく光、
その一瞬を捉えようとしたのだ。

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ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」ピエール=オーギュスト・ルノワール
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール=オーギュスト・ルノワール

うーん。
ロマンチックよね!!
そう!
印象派」の作品っていうのは
光に溢れ、温かく、ふわっとしていて、やわらかく、甘美。
それはまさに
ふわふわもちもちの「ポンデリング」みたいなものなんだ!

結論
印象派」の作家は都会の華やかな娯楽をモチーフにした
印象派」の作家は自然に存在する「光」に注目して「光」の捉え方を模索した

因みに俺が好きな「印象派」の作家「ベルト・モリゾ
当時では珍しい女性作家だが、彼女の絵はとても温かく、優しく、穏やかで、彼女の作品を見た時は、とても癒されました。

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「Chaild among staked roses」ベルト・モリゾ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルト・モリゾ

あと本当は「印象派」を語る上で「エドゥアール・マネ」の存在が絶対なんだけど、今回は省略します。
メインは「新印象派」だからです。

「新印象派」の魅力

で?

肝心の「新印象派」ってなんなん?

「新印象派」の作家たちは「印象派」に影響を受け、「印象派」の意思を受け継いている。
「新印象派」の作家たちもまた、「光の捉え方」を模索したのだ。
しかし
彼ら「新印象派」の作家たちと「印象派」の作家たちとの決定的な違いがあった。
それは
印象派」が感覚や感性を拠り所にした
とすれば、
「新印象派」は科学を拠り所にした
ところだ。
同じ「光を捉える」にしても、
移ろいやすい自然の中の「光」を感覚的、直感的に追求した「印象派
に対して
「新印象派」の作家は光や色の科学書を参考にして、理論立てて、科学的根拠の下「光」に迫ったのだ。

俺の勝手なイメージになるが、
(マジで勝手なイメージです)
印象派」は明るく、陽気で甘い笑顔の天才ナルシスト。
つまり
ハウルの動く城」の「ハウル」さんや!
それに対して
「新印象派」は、実験室に籠もって地道にトライアンドエラーを繰り返しながら、粘着的に研究を重ねるオタク気質の天才
そう
Dr.STONE」の「石神千空」なのだ!
(勝手なイメージすみません)

結論
印象派」の作家は感覚的、直感的に「光」を捉えようとした
「新印象派」の作家は理論を元に科学的に「光」を捉えようとした。

「新印象派」を確立した「ジョルジュ・スーラ」は研究を重ねる中で
色を混ぜずに、原色に近い色を細かく配置することで、
光や空気を描こうとした。
これが「点描画」
要するに点点で絵を描くって作戦。
地道な作業だ。
しかし!
色をなるべく混ぜないこの作戦によって、絵は「鮮やかさ」を損なわずに済んだ。
絵具は混ぜると「彩度」が下がり鮮やかさを失う。
点描画(点点作戦)は見事この問題を解決したのだ。
そして彼ら「新印象派」の作家たちによって、
透明感のある空や光に満ちた風景がつくり出されていった。

俺は2015年、東京都美術館
「新印象派-光と色のドラマ」
っていう展覧会を見に行ったんだけど、
そりゃ最高だったさ!

なんて言うか、
「点描画」っていう、ただでさえ根気がいる作業を
理論を元に、努力と根性で作り上げていく姿勢、情熱。
それに痺れた!
彼らが求めていたのは「光」「空気感」
そのために、ひたすら努力を惜しまず研究と実践を繰り返していく。
俺は彼らの制作に向ける情熱に心から感動した。
絵具は決して光を発しない。しかし彼らの作品は輝いていた。

印象派の「点描画」とテレビゲームの「ドット絵」の共通点

俺が彼ら「新印象派」の作家たちに共感を感じたのにはもう1つ理由がある。
それは、俺が
「新印象派」の絵って、ゲームの「ドット絵」に似てる!
って思ったのだ。
俺は「スーパーファミコン」後期の作品や「PlayStation」初期の作品
正に「ドット絵」の黄金期にゲームを味わった男だ。
特に「スーパーファミコン」後期のゲームの「ドット絵」は本当に美しかった。
聖剣伝説3」「ドラゴンクエスト6」「ロマンシングサガ3」
などのゲームのグラフィックから受けた衝撃を忘れることはできない。
本来「ドット絵」とは、
画面上の、出力最小単位の「マス」に色を置いて絵にする
「コンピュターグラッフィック」の技法の1つである。
そしてもちろん「ドット絵」は「新印象派」のように「光」を追求したわけではない。
そもそもテレビ画面はそれ自体が光を放っている!(真っ暗でもテレビは見える)
だが、
なんだろう?
「ドット絵」から感じる底知れない魅力。
うーん。
そのヒントは「宇宙一。馬鹿な侍」である彼の言葉にある。
と俺思う。

アニメ「銀魂」で主人公の「坂田銀時」は「ドット絵」の魅力について
「綺麗なCGこそねぇが、だからこそ、そこに無限の想像の余地があった」
と語る。
。。。
そう!
それなのだ!
「ドット絵」は俺たちに想像力を強いてくる
のだ!
「ドット絵」
それは近くで見れば、たかが色を持った四角にすぎない。
しかし!
たかが色をもった四角の集まりは、
時に様々な魅力的なモンスターになり
時に勇ましい勇者になり
時に広大な砂漠や神秘的な森になった!
何度も言おう!
元は『たかが四角の集まり』なのにだ!!!
「ドット絵」で描かれた勇者や魔物には今日のゲームのようなリアリティはない。
しかし、
「ドット絵」は俺たちの「想像力」という餌を食らって、無限大の可能性を見せる。
俺たちは無意識にその「ドット絵」から想像力を働かせる。
そしてかつて俺たちが想像力を働かせながら見たその「ドット絵」は、何年経っても色あせない最高のグラフィック(絵画)となって心に残り続ける。

それは「新印象派」の作品に通づるものがある。
たかが点の集まり、
近くで見ればただの点。
しかしその点の集まりは、光に満ちた美しい風景や空気感をつくりだす。
私たちがいつかどこかで感じた、
海の音
風がかすめる心地良さ
日光の眩しさ
木漏れ日の温かさ
冬の早朝の透明感のある空
ただの点の集まりである「新印象派」の作品は
私たち見る者の記憶を驚くほど鮮やかに呼び起こすのだ。
たかが点、、、
だけどその点の集まりは、見る人の想像力や記憶の心に刻まれる凄まじいグラフィック(絵画)に変貌する。
ゲームの「ドット絵」と「新印象派」の点描画はちょっぴり似ている。

以上になります。
今回は
アート「新印象派」を紹介しました。

絵画の歴史的な文脈から「新印象派」に迫ること
個人的な「新印象派」に対する思い
ゲームの「ドット絵」との関係性など

深く語ろうとすると、マニアックかつ独りよがりな文になりがちで、、、
なかなかまとめ辛かった
ってのが本音です。
しかし、少しでも皆様に
「新印象派」の面白さが伝われば良し!

彼ら「新印象派」の作家たちの作品に向ける情熱はかっこいいと思います。
そこに時代うんぬんは関係ありません。
ただひたすらに、研究と実践を重ねてより良い(美しい)ものをつくる姿勢がかっこいいのです。
たかが「点」
けど、その1つ1つの「点」には「思い」と「情熱」が詰まっているのです。
そして繰り返しになりますが、彼らの絵は輝いています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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