BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

雑記「表現について。0から1をつくるということ」

はろう!
今回も前回に引き続き、絵画(アート)の話をしたい。
前回の記事
雑記「絵画(アート)とグラフィックデザインの違いについて考える」
をお読みになってから、この記事を読んでいただけると、よりアートに対するイメージが深まるかと思いますので、こちら(↓)もあわせてお願いいたします。

betabomefactory.hatenablog.com

 俺は前回の記事で絵画(アート)をやる上で、絶対に必要になるのは
「表現したい」ってこと!
って書いた。
絵画(アート)の世界は、他人(顧客やクライアント)に頼まれてつくるものではない。
それは、デザインやイラストの仕事になる。
例えば
「結婚式の絵を描いてくれ」
と友人のA君に頼まれて描いた絵は、それはアートとは言えない。
それは厳密にはイラストである。
まぁ描いた本人が「これはアートです」
と言い切ってしまえばアートになってしまう訳ですが、、、
(そーゆーところがややこしいんだよなぁ)
しかし作者が

「俺は『人類の幸福』を絵具で表現したい!
その表現のため、俺は「結婚の形」を具象画で描くという方法を俺は選んだ。
だからA君!
是非とも君たち新郎新婦の絵を描かせてくれ!
それこそが俺が『人類の幸福』を表現するための方法だ」

こうなった場合はこの「結婚式の絵」はアートになります。
「結婚式の絵」が自己表現の為の方法になってるからです。

絵画(アート)は「自分が表現したいモノ(世界)」を表現し続けなければならない
しつこくなるが、それに伴って必要なのが
「表現欲」
で。
なんか、凄く偉そうに
いかにも自分は「孤高な表現者だ」みたいなノリで記事を書いてるんだけど、
そんなことはない。
ゲームとアニメと音楽と格闘技と筋トレとランニングと女の子と食べ物と料理とビールが好きなふつーの人間だ。
というか。
今も、本当は記事書くよりもゲームがしたい、、、

話を戻そう。
自分は今でこそ明確に表現したいモノ(世界)はあるんだけど、
それは最初からあったわけではない。
でだ。
今回は、はじめはなかった「表現したいモノ(世界)」をどうやって見つけて行ったのか実体験を振り返りつつ、
「表現」について考えていきたい。
話は
0から1をつくるということ
のみですわ!
(5分から10分位で読めます)
アイキャッチ画像は「月とナイフ」

f:id:alex04sandra20:20191001075231j:plain

 0から1をつくるということ

学生のころ若かった俺は

誰も、考えつかないような、凄いモノ
自分だけが表現できる最高にかっこいい世界
全く新しい表現

をつくってやろうと思っていた。
それは、無から有を生み出すこと
つまり
「0から1をつくるということ」
そんな希望があった。
俺は絵画(アート)にとって個性的でオリジナリティーがあることは必須だと考えていた。
そんな考えの背景にあったのは多分、さまざまな個性溢れる作品たちへの「憧れ」だ。
ゲーム「聖剣伝説LEGEND OF MANA」や「ファイナルファンタジー9」
漫画「王ドロボウJING
音楽「L’Arc-en-Ciel」や「DIR EN GREY
そりゃもう個性とセンスの塊みたいな作品たちに「憧れ」を抱いていた。

アーティストは誰かの為にモノ(世界)をつくらない。
あくまでも、自分の表現欲に従ってモノ(世界)をつくる。
しかし
そんな自分本位なアーティストに俺は過去何度も救われた。
それら唯一無二作品たちが持っている世界は俺にとっていつも圧倒的で、
アートに触れるたびに、自分の悩みがとても小さく思えた。
そして、俺は
それらの作品に触れれるたび、勇気付けられ癒された。
(俺の認識ではゲームもアートね!)
自分の表現欲に従ってモノ(世界)をつくるアーティストが他人を救う
ってのは矛盾してるように思えた。
けど、実際、俺自身が救われちゃってるんだから疑う余地は無い。
そしてこの
自分の為にやっていることなのに人を救う感じ
がまた格好よかった。
結局、俺はどうしょうもなくアートに痺れた。
だから
俺もこんなにも人に感動を与えることのできる、唯一無二の凄いものを自分本位に自由につくりたい!
0から1をつくりたい!
目的は明確になった。
しかしここからが大変だった。

とはいえ、、、、
「何を表現したいかすらわからん!」
「0から1をつくること」がこんなにも大変だったとは。
しかし
ここで生まれるある疑問。
ん?
そもそも
「0から1をつくる」ことなんて本当にできるのか?
あれ?

例えば
俺が当時憧れていた「L’Arc-en-Ciel」ボーカリストHYDE
彼はアニメや絵画から歌詞の着想を得ているし、音作りに関しても様々なアーティストに影響を受けながら感性を磨き、「L’Arc-en-Ciel」というバンドの音楽をつくった。
つまりHYDEは様々な音楽を聞き、それらの音楽の中から自分の感性に沿ったものを、
「組み合わせて」
自分の世界にしているのかもしれない。
唯一無二の孤高のバンド「DIR EN GREY」のつくる音楽でさえ、初期はビジュアル系の音づくりからはじまり、そこにメタル系の音やプログレッシブな要素、日本のホラー要素が加わっていくと分析することができる。
漫画やアニメだってそうだ。
「ガールズ&パンツァー」は
女の子×戦車
これが「のんのんびより」であれば
女の子×田舎
という具合である。
当初おれが0から1をつくり出しているように見えた唯一無二の世界は実は
「組み合わせ」
によってつくらてれいるのかもしれない。
という仮説が生まれた。

あれ?

絵画(アート)や音楽の世界で全く新しいものって本当にあるの?
「0から1をつくること」は本当に可能なの?
俺はふと、絵画(アート)の世界において20世紀にパブロ・ピカソが全ての表現をやり尽くしてしまっていると情報を思い出す。
音楽も同じなのか?

ってかさ

電球を発明したエジソンや飛行機を発明したライト兄弟は0から1をつくった

だとしたら、、、
「0から1をつくる」ってどんだけ難易度が高いんだよ!
ノーベル賞ものだぞ!こりゃ。

もしかしたら、
今日、絵画(アート)や音楽など「表現」の世界は既に完成されていて、「組み合わせ」や「バリエーション」で新しく見せているだけかもしれない。
全ての「表現」は「組み合わせ」
そんな発想が生まれた。
しかし、、、
俺はその考えをそっこう捨てた。
L’Arc-en-Ciel」や「DIR EN GREY」は唯一無二だ!
表現者は常に「0から1をつくりだす」気概がなきゃ、やってらんねぇんだよ!
とな!!

けど、
そうだな、、
俺の「憧れ」を参考にしよう。
こういう結論に至った訳だ。
(参考にはするんかい!って感じである)
ゲーム「聖剣伝説LEGEND OF MANA」「ファイナルファンタジー9」
漫画「王ドロボウJING
音楽「L’Arc-en-Ciel」「DIR EN GREY
キーワードが見えてきたぞ。
「ファンタジー
こんな感じで、俺の「表現」の元が決まったのであった。

実体験を踏まえて改めて「表現」について考えてみると、
自分の場合「表現」の源は「憧れ」だった。
他には、
子どものころの経験だったり、
人から受けた強烈な影響だったり、
鮮明に感じたことだったりと、
人によって様々らしいです。

最初は見つけた「表現」自体も未熟なのでぼんやりとしていることも多いです。
しかし、
ここまで書いといてあれなんだけど、
なんか、
もっと自由に肩の力を抜いて、
描きたいこと描いちゃって!
つくりたいもんつくっちゃって!
みたいなノリ。
いわゆる
つくることや演奏すること自体を楽しむ
方が
「自分が表現したいモノ(世界)」
にたどり着きやすいのかもしれないですね。

ぼんやりとでも「自分の表現したいモノ(世界)」が見えてきたら後は、思考錯誤しながらつくっていく。
今でも自分は
「0から1をつくる」
気概で、唯一無二な世界をつくることに必死だ。

もちろん毎回、試行錯誤。失敗ばかりだ。
描く技術が足りなくて「表現したいモノ(世界)」がつくれなかったり
「表現したいモノ(世界)」をつくることができたとしても、
あれ?なんかちがくね?ってなったり

必死につくって、ようやく念願叶って
「表現したいモノ(世界)」にたどり着いたとしても、更なる高みを目指したくなるのだ。
終わりはない。
もちろん単純に気分が乗らず、描きたくない時もある。
産みの苦しみとはよく言ったものであるが、本当そう思う。
こいつはまるで
ナイフで切り刻むようにして精神と感性を研ぎ澄ます
そんな作業の繰り返しなのだ。(決まった!
アスリートが肉体を酷使し、己の体を鍛え上げるようにアーティスト(表現者)は精神を研ぎ澄ます。
それはゲームっぽい言い方をすると、戦士と魔法使いの関係のようである。
こう言ってしまうと一見、苦しそうに聞こえるが、
例えば
苦しそうに見えるマラソンもマラソンが好きな人にとっては最高で、
走っている時は苦しいが、同時に至福の時間でもあるのだ。
絵画(アート)も同じで試行錯誤しながらつくっていく過程は苦しいが
同時に楽しい。
そして
なんといっても納得いった作品ができた時は最高なんだ。
昔の俺の「表現したいモノ(世界)」はファンタジーだったが、今はそれも変わった(発展した)。
今は今の俺のモードに従って「表現したいモノ(世界)」をつくっている。
そしてこれからもつくっていきたい。
自分だけが表現できる最高にかっこいいモノ(世界)
を目指して。

今日、絵画(アート)に限らず彫刻、インスタレーション、音楽、ダンスなど、この世界の全ての「表現」は「組み合わせ」に終結しているのかもしれない。
しかし、仮に、「表現」が「組み合わせの世界」であると
俯瞰した発言ができるのは、
そいつは
批評家や鑑賞者の仕事さ!
表現者は常に「0から1をつくること」を夢に見る。

ありがとうございました。
ブログ村に参加しています。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村