BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「映画、パンズ・ラビリンス」を考察しつつ、「想像力」の大切さ、を考える。

Hi!
パンズ・ラビリンス」は2006年、メキシコ出身の「ギレルモ・デル・トロ」氏によって監督、脚本されたダーク・ファンタジー映画である。
日本では2007年に公開された。
俺は、ファンタジーが好きだ。
映画で言えば「宮崎駿」氏の「千と千尋の神隠し
小説では「ミヒャエル・エンデ」氏の「はてしない物語
ゲームだったら「ドラゴンクエストシリーズ
これらのファンタジー作品は、本当にワクワクした。
この世界とは違う、不思議な世界。
ちょっぴりヘンテコだけど可愛いキャラクター。
スリリングで心踊る冒険。
これらの要素を持ったファンタジー作品は大人から子どもまで楽しむことができるのもの魅力だ。
で、
今回、俺が語りたいのは映画「パンズ・ラビリンス
この作品
不思議なファンタジー世界に「ワクワク」
ではなかった。
拷問と殺し合いが蔓延する内戦下に「ビクビク」
これはそんな映画である。
この映画は、
スペイン内戦下を舞台におとぎ話(物語)が好きな少女が、
妖精に導かれ、「地下の王国(ファンタジー世界)」に行く為に試練をこなしていく話だ。
内戦下の「現実パート」では、
ビンによる撲殺、切断した足の断面クローズアップ、拷問シーンなど
目を背けたくなるシーンばかり。
妖精による試練、つまり「ファンタジーパート」もホラー映画さながら、
不気味なクリーチャーが登場する試練ばかり。
この映画は「心、安らぐ映画」ではない。
しかし、この映画を見たときに、感じたことがあった。
それは「想像力」の凄さと大切さ。
オフェリアが過酷な「現実世界」の中で最後まで幸せそうだったのは
間違いなく自身が持っている「想像力」の恩恵である。
だから、今回は「パンズ・ラビリンス」を考察しつつ、
「想像力」の大切さ、「想像すること」の大切さを皆様とシェアしたい。
この映画を知らない方、にも
映画のあらすじから終わりまで説明しますのでお付き合いいただければ幸いです。
逆に
がっつり映画のネタバレを含みますので、
この映画に興味のある方は、以下、お控えください。
話は

  1. 映画「パンズ・ラビリンス」の概要と話の結末
  2. 「ファンタジー世界」は少女が現実逃避の為に自ら作り出した「妄想」だったのか?
  3. 「想像力」の大切さ

の3本です。
(記事では敬称は省略させていただきます)

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 映画「パンズ・ラビリンス」の概要と話の結末

映画「パンズ・ラビリンス」のネタバレを含みます。

舞台は、1944年。内戦下のスペイン。
主人公は12歳のおとぎ話(物語)が好きな少女「オフェリア」。
オフェリアは内戦によって父親を亡くしており、母「カルメン」と共に、
森の中の「軍の砦」を目指す。
その理由は母カルメンの再婚相手、独裁政権陸軍の「ヴィダル」大尉が彼女たちを呼び寄せたから。
カルメンのお腹にはヴィダルとの子どもが宿っていた。
「俺の住んでる場所で子どもを産み落とせ」
と言って体の弱い母カルメンとオフェリアを危険な「軍の砦」に呼ぶのだ。
この「軍の砦」はレジスタンスとの交戦状態にあって、
ヴィダルの目的はそのレジスタンスを一掃すること。
つまり、少女オフェリアと母カルメン
この酷く物騒な、銃声と、悲鳴と、血の匂いと悪意が渦巻く
森の中の「軍の砦」
で生活を余儀なくされる。
という訳だ。
怖すぎる!

主人公の少女、オフェリア
母、カルメン
カルメンの再婚相手、ヴィダル
レジスタンスのメルセデス
が、主な登場人物である。
ある日、オフェリアは森の中で妖精に誘われ、森の奥の迷宮に誘われる。
森の奥には迷宮の番人「パン(羊の化物みたいな奴)」がいて
「あなたは地底の王国の姫君だ」
とオフェリアに告げる。
迷宮の番人はさらに
「ここが地底の王国の入り口であるが、3つの試練を達成し、あなたが姫君であることを証明してほしい」
という。
ここから、オフェリアは
現実世界(内戦下の血に染まった不気味な生活)

ファンタジー世界(3つの不気味な試練)
を行き来することになる。
(どっちも不気味って言う)
これが、「パンズ・ラビリンス」の概要である。

ここからは、話の結末になります。
まず、概要からも分かっていただけると思うが、
やばいのはヴィダル大尉。
猜疑心が強く、冷酷で残酷。
レジスタンスだと疑われた、一般人も瓶でぐちゃぐちゃにして撲殺。
レジスタンスの人間も、肩に止まったをハエ殺すかのように気軽に撃ち殺す。
最低最悪。
で、
俺たち視聴者は、
終始このヴィダルに嫌悪感を抱きながら映画を追う形になる。
最終的に、母カルメンは赤ちゃんを産み落とすと、疲労から死亡。
少女オフェリアは赤ちゃんを抱きかかえて逃亡するも、
最終的にヴィダルに見つかって撃ち殺され死亡。
ヴィダルはその直後レジスタンスによって打ち殺され死亡。
オフェリアの家政婦(実はレジスタンス)のメルセデスがオフェリアを抱えて静かに泣き、
物語は幕を閉じる。
というもの。
これが、「現実世界(現実パート)」
主人公のオフェリアに救いはない。
戦争、そして戦争がつくり出した醜い大人によって、
1人の少女がただただ翻弄されたあげく殺される物語である。
しかし、「ファンタジー世界(ファンタジーパート)」では、
オフェリアは見事「3つの試練」を達成し(失敗もあったが)、
金色に輝く「地下の王国」の「お姫様」になって、お父さんとお母さんに向れられる。

ハッピーエンドなのか?
と一概に言えないのは、
「ファンタジー世界」へ行くための手段が
「死ぬこと」だから。

つまり
「地下の王国(ファンタジー世界)」=「天国」
と言い換えることもできる。

「ファンタジー世界」は少女が過酷な現実から「逃避」する為に自ら作り出した「妄想」だったのか?

この映画は
「地下の王国(ファンタジー世界)」はおとぎ話(物語)が大好きな少女オフェリアがつくりだした「妄想」と考えることができる。
不気味な森で絶え間なくなる銃声。
人の叫び声。
血の赤と森の緑。
徐々に生気を失っていく母。
ヴィダルの冷酷な笑み。
そんな殺人サディストが自分の父親になってしまったという衝撃と恐怖と悲しみ。
悲惨で過酷で残虐で、、
やるせなさすぎる「現実」に対する「逃避」としてつくりだしたオフェリアの「妄想」
それが「地下の王国(ファンタジー世界)」
オフェリアが唯一持っていた武器。
それは「想像力」
彼女は自身の「想像力」をフルに発揮して
「地下の王国(ファンタジー世界)」
をつくりだし、自身の心の平和を最期(死の直前)まで保った。
という読み取り方だ。

しかし、一方で単純に「地下の王国」は存在し、
オフェリアは無事「地下の王国」にたどり着くことができた。と読み取ることも出来る。

  1. 少女の「妄想」説
  2. 「地下の王国(ファンタジー世界)」実在説

監督であるデルトロはあえて、どっちとも読み取れるように描いている。
個人的な解釈だが、
あえて、ほんの少し
「少女の「妄想」説
の方が真実味があるように描くことで、

この映画に一層、深みと味わい深さ、
を与え、見終えた後、

なんともいえない悲しさ、やるせなさ
の余韻を残しているように思った。

ここで、
少女の「妄想」説

「地下の王国(ファンタジー世界)」実在説
のどちらが真実なのか?
を検証することはしない。
何故ならデルトロがその答えを、鑑賞者に委ねているから。
で。
じゃ何を考える?
それは「パンズ・ラビリンス」の「ファンタジーの構造」だ。
ここでは「ファンタジーの構造」を2つに分類したいと思う。
1つは
舞台そのものがファンタジー世界
そしてもう一方が、
舞台が「現実世界」と「ファンタジー世界」の2つあるもの
だ。
1つ目の
舞台そのものがファンタジー世界
文字通り舞台が異世界(ファンタジー世界)
具体的にはゲーム「ドラゴンクエスト」や漫画「ベルセルク
ベルセルク」のように異世界の舞台が、血にまみれた殺伐とした世界ならば
ダーク・ファンタジーとなる。
もう一方の
舞台が「現実世界」と「ファンタジー世界」の2つあるもの。
映画「パンズ・ラビリンス」はこっちにあたる。
その他、
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス
宮崎駿の「千と千尋の神隠し
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語
もまた
舞台が「現実世界」と「ファンタジー世界」の2つあるもの
に分類される。
アリスは不思議なウサギを追いかけて
「穴」
に落ちることで「現実世界」から「ファンタジー世界」に行く。
千尋
「トンネル」
をくぐることで「現実世界」から「ファンタジー世界」に行く。
バスチアンは
「本」
を通して「現実世界」から「ファンタジー世界」に行く。
舞台が「現実世界」と「ファンタジー世界」の2つあるもの
の場合
「現実世界」→「きっかけ」→「ファンタジー世界」
という形をとる。
で!
重要なのは
不思議の国のアリス
千と千尋の神隠し
はてしない物語
の3つの物語は
「現実世界」→「きっかけ」→「ファンタジー世界」→「きかっけ」→「現実世界」
の形になっている。
つまり、
登場人物はまた元の「現実世界」に帰ってきている。
そして彼らは「ファンタジー世界」で経験した
不思議な出来事、辛い出来事、嬉しい出来事を糧に、
人として、より強く、より優しく「現実世界」を生きる。
この形が
舞台が「現実世界」と「ファンタジー世界」の2つあるもの
の「ファンタジーの構造」をとった作品の
醍醐味だと思っていた。
しかし「パンズ・ラビリンス」は違った。
「現実世界」→「きっかけ」→「ファンタジー世界」
で終わり。
要するオフェリアが再び「現実世界」に帰ってくることはない。
一方通行。
オフェリアの体験は見方によってはこういう図式に出来る。
「現実世界」→「きっかけ」→「ファンタジー世界」
オフェリアをこの図に当てはめる
「森の砦での現実生活」→「死」→「地下の王国」
「現実世界」→「死」→「天国」
オフェリアは、再び「現実世界」に戻ることはなかった。
結果だけを見れば、オフェリアはヴィダルに殺害された。
しかし、
実は彼女の内心に迫ると、
彼女は

「現実世界で生きること」を放棄していた
と読み取ることが出来るのだ。
なぜなら、彼女は「地下の王国」を目指し、
「地下の王国」での永住を望んだからだ!

それに対して、千尋やバスチアンは違った。
千尋の目的は
お父さんとお母さんを元の姿に戻し現実世界に帰ること
バスチアンも最終的には
なんでも願いが叶う「ファンタジーの世界(ファンタジーエン)」
ではなく、
イジメらる現実が待っている「現実世界」を選んだ

そういう意味で、尋やバスチアンには「強さ」があった。
千尋やバスチアンは「現実世界」を望んだのだ。
しかし、オフェリアには「現実世界」に戻ることを望まなかった。
ここで、オフェリアが千尋やバスチアンに比べて「弱い」と言うことはできない。
オフェリアの「現実世界」は千尋やバスチアンと異なり、異常なまでに過酷だからだ。
だから、オフェリアは「現実世界」に一切の興味を示さなかった。
彼女はむしろ
「どいつもこいうも腐ってやがる」
と一瞥して、
勝ち誇ったような目で
血塗られた中「ファンタジーの世界」に行くのだ。
オフェリアの死際の笑顔。
そして彼女の「現実世界」に対する、勝ち誇った、そしてどこか冷めた目、
それは「現実世界」に対する、究極の
「一抜けたっ!」
である。

「想像力」の大切さ

私たちがこの映画から考えるべきことがある。
それは
オフェリアが「ファンタジー世界」から「現実世界」に戻ってきたくなるような、
素敵で平和な「現実世界」をつくらなければいけない。
ということだ。
つか、
「誰だって嫌になるだろ!」
殺人と拷問。
銃声と叫び声。
勝手な大人とただただ翻弄されるしかない子ども。
オフェリアが
「勝手にやってろよ(殺しあってろよ)!私は抜けるわ!」
って言う気持ちが痛いほどよく分かる。
それで、最後、メルセデスがオフェリアを抱えて泣く訳であるが、
それすらも怠い。
「泣かなくて良いっつーの。アタイはあっちで好き勝手やるからさ。こっちはいろいろ怠いわ」
と、
(さすがに盛りすぎか?笑)
クドイが、
子どもが「絶望」を感じてしまう
あるいは
「冷めて」しまうような
醜い「現実世界」をつくってはいけない。
この映画のような「現実世界」はあってはならない。

だからこそ、この映画のオフェリアから学ぶべきことがある。
それは大人こそ「想像力」を大切にしなければならない。
ってこと
「想像力」
これはオフェリアが残酷な「現実世界」に立ち向かう為の最大の武器だった。
で、
今を生きる私たちにも「想像力」がとても大切だと思った。
ファンタジーの世界が本当にあるかは分からない。
しかし1つ言えることがある。
それは「ファンタジー」のパワーの源は「想像力」だってこと。
子どもたちは、大人よりもよっぽど「想像する力」に長けている。
子どもの頃、見ることのできた、不思議な生き物や不思議な体験。
しかし、大人はそれをばっさり切ってしまう。
「イマジナリーフレンド」
精神障害
様々な名前(病名)をつけて、とばっさり切ってしまう。
だけど、
「ファンタジーの世界は本当に存在するかもしれない」
「不思議な生き物は本当にいるかもしれない」

人間は年齢を重ねて大人になると、「想像力」が失われていく。
しかし、人間が完全に「想像力」を失った先。
「想像力」を失った先の先。
ずーと行ってその最終地点には、なにが待っているのだろう?
俺には「快楽無差別殺人者のヴィダル」の笑みが浮かぶ。

以上になります。
今回は
アート「映画、パンズ・ラビリンス」を考察しつつ、「想像力」の大切さ、を考える。
でした。
この映画を見て、つくづく思いました。
私たち、大人だからこそ、子どもに負けないくらいの「想像力」を持ちたい。
と。
そして、
こじつけに聞こえてしまうかもしれませんが、俺は
「想像力」を育み、鍛える手段として、アート、音楽、物語、ダンス、などの芸術を挙げたいです。
後、漫画とアニメとゲーム!

仮にオフェリアが今の時代の「現実世界」を生きていたならば、
彼女は自身の「想像力」をフルに発揮して、
「人の心を感動させる凄い作品」
をつくってたんじゃないかな。
と思います。

オフェリアが「地下の王国(ファンタジー世界)」から「現実世界」に戻ってきたくなるような
素敵で平和な「現実世界」をつくるにあたって、
彼女の分まで「想像力」を働かせて「カッコいいモノ」をつくりたいな。

長くなってしまいました。
ここまで、お付き合いいただいた方、
本当にありがとうございました!
ブログ村に参加しています。

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