ゲーム「JRPG」をベタ褒めする
ゲームがやりたいっ!
「ファイアーエンブレム 風花雪月」
「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」
「ゼルダの伝説 夢を見る島」
「ロマンシング サガ3(HDリマスター版)」
そして先日発売された「ポケットモンスター ソード・シールド」
まだどれもプレイしていない。
今すぐにでもプレイしたい。
しかし!
ゲームに夢中になりすぎるあまり、気がついたら膨大な時間が消えて無くなっていた。
なんてことになるのが怖くてできないのだ(泣
「時間を決めてちょっとずつプレイすればいいじゃん!」
っていうかもしれない。
その通りだ。
だが、、例えば、
自分の大好きな食べ物や飲み物を想像して欲しい。
俺の場合はビール。
大好きなビール(アサヒスーパードライ)を目の前にして350ml1缶で済ませることができようか?
2缶3缶と飲みたくなるのが、俺たち人間のサガってもんだろう。
そして気がついたら、泥酔し、翌日、二日酔いを迎える。
この現象と同じように
「1時間だけ」
と言いながら気がつけば貴重な睡眠時間を削ってまで5時間くらい熱中してしまうのがゲームなのだ。そしてその後、襲われる後悔の念
俺はゲームが好きだ。とりわけ「ドラゴンクエスト 」「ファイナルファンタジー」「テイルズ」「ニーア」「ポケモン」「サガシリーズ」など日本製の「ロールプレイングゲーム」
いわゆる「JRPG」が好きだ。
今回は、ゲームをプレイしたくても出来ないこのジレンマを発散させるが如く、「JRPG」の魅力について考えていきたい。
話は
です。
(アイキャッチ画像は魔法使い)
JRPGの主人公はプレイヤーである私たちだ!
「JRPG」は「Japanese-Role-Playing-Game」の略称で、日本製の「ロールプレイングゲーム」である。
プレイヤーはゲームの主人公の「役割(Role)」を担って物語を進めていくから「ロールプレイングゲーム」というわけだ。
「ドラゴンクエスト」で言えばプレイヤー自身が勇者になる。
「勇者 たかし」
「勇者 こうたろう」
もともの主人公に名前がついているゲームも多いがその場合、俺たちプレイヤーは主人公になりきってゲームをするのが、ロールプレイングゲームの醍醐味だと思う。(個人的な意見です)
「俺はたかしじゃない!クラウドだ!(FF7)」
「俺はこうたろうじゃない!スコールだ(FF8)!」
その方がゲームに対する没入感も増す。
プレイヤーはゲームの主人公となって、目的を達成していくことになる。
そして目標達成する上で必然的に「物語」ができる。
仲間との出会い、友情、ヒロインとの恋、別れ。冒険の途中立ちはだかる障害、巨大な敵との戦い、仲間の死。
物語の終幕がハッピーエンドであれ、バッドエンドであれ、私たちプレイヤーは主人公となって様々な体験をしたのち、物語の結末を迎えることになる。
当たり前の話だが、JRPGには「物語」がある。
そしてプレイヤーはゲームの主人公になってその物語を擬似体験するのが「JRPG」の味わい方だと思っている。
しかしだ!
「プレイヤー=主人公」で物語を味わうというRPGの形。
それは本当に当たり前の話なのか???
ちがう!
一見当たり前に見えるが、この
私たちはゲームの主人公になってその物語を擬似体験する
ってのは実はゲームでしか体験することのできない本当に貴重な経験なんだ!
例えば、テレビドラマやアニメや漫画そして小説に至るまで私たちが「物語」を楽しむものはさまざまに存在する。
しかしこれらの場合、私たち自身は登場人物になりきってその「物語」を楽しむことはない。
例えば「ドラゴンボール」というアニメを鑑賞する際、
「オラは、たかしじゃない!孫悟空だ!!」
と思って「ドラゴンボール」を見る人間はなかなかいない。
それは他の媒体(ドラマ、映画、小説)でも同じだ。
これらで「物語」を楽しむ際は、「物語」に登場する人物を客観視しながら楽しむことになる。
もちろん登場人物の生き様や経験と自分の人生を重ねて似ているところを見つけ、より共感的にその物語を楽しむことは可能だ。
しかしこれらの媒体(ドラマ、映画、小説、アニメなど)で物語を楽しむ場合、
物語の主人公=私
という鑑賞の仕方は難しいのだ。
しかし!
「RPG」は違う!!
物語の主人公=私という形が可能なのだ!!
これって凄いことだと思う!
確かにデフォルトネームを使わず、
主人公の名前を自分の名前にしてプレイするのは、ちょっと恥ずかしく、抵抗があるかも知れない。
しかし
プレイヤーが物語の主人公になりきって「物語」を楽しむことができるのは「RPG」が持つ特権と言えよう。
そしてこの特権によって、私たちは、この世界とは違う世界でより「主観的」に「物語」を体験することができるのである。
結論
「物語」を提供してくれるもの
テレビドラマ、映画、アニメ、漫画、小説、そしてRPG
【テレビドラマ、映画、アニメ、漫画、小説の場合】
鑑賞者は登場人物を客観的に見る。そして登場人物の行動や出来事を客観的に味わうことができる。
【RPGの場合】
鑑賞者(プレイヤー)は登場人物になる。そして冒険や繰り広げられる展開を主観的に味わうことができる。
もちろんRPGの楽しみ方は人それぞれ自由で、客観的に「物語」を楽しみたかったり、ゲームの物語自体に興味のない人もいるだろう。
しかし俺はこの(プレイヤーが主人公になれる)ってのがRPGの醍醐味であり、最高に素晴らしいところだと思うのだ!
そして、その効果によって、RPGはテレビドラマや小説とは異なった楽しみ方を「物語」から見出すことができるのである。
RPGは総合芸術である
RPGを構成する要素に「物語」があることは言うまでもない。
しかしRPGは贅沢なことに、ゲームグラフィック(絵)そしてゲームのBGM(音楽)も同時に味わうことができるのだ。
神秘的な森
うだるような暑さの砂漠
薄気味悪い廃墟
仄暗い洞窟
静かな海中
荘厳なお城
私たちは様々な舞台をゲームを通して楽しむことができる。
そしてそれを味わうことができるのはゲームグラフィックのお陰だ。
近年の目を見張る程、綺麗なオープンワールの世界を作り上げたグラフィック
ドット絵のレトロ感のあるグラフィック
CGで見せるドラマチックなグラフィック
時代によってゲームのグラフィックは驚くべきほどの進化を遂げてきたが、どの時代においても、数多くの味わい深いグラフィック(絵)をゲームは私たちに提供してくれた。
更に、ゲームを盛り上げる音楽。
過去の名作RPGのそのどれもが「素晴らしい音楽」と共にあったことを忘れてはいけない。
「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のメインテーマを聞くだけで私たちの目頭が熱くなってしまうのが、ゲーム音楽の偉大さを物語っている。
もちろんゲームのシステムが大切なことは言うまでもない。
しかしRPGには
「物語」
「グラフィック(絵)」
「音楽」
という3本の魅力的な柱に支えられていることも事実だ。
そして優れた「物語」優れた「グラフィック(絵)」優れた「音楽」に支えられたRPGはもはや総合芸術なのである!!!
JRPGが私たちにとって必要な理由。私たちが異世界にいく「価値」
ゲームは私たちにとって必要なものである!(断言)
その理由に迫りたい。
RPGの世界は私たちが暮らす世界とは「別の世界」である。
もちろん「ペルソナシリーズ」のように現代の東京が舞台のゲームもあるが、それでも、厳密には私たちが住んでいる世界とは「別の世界」である。
で、
大袈裟に聞こえるかもしれないが、
私たちプレイヤーはゲームを通して「別の世界」つまり「異世界」に行く訳だ。
私たちプレイヤーが「現実世界」から「異世界」にいって様々な体験をした後「現実世界」に戻ってくる、というこの形に大きな「価値」があるんだ。
「現実世界」
↓
「異世界」
↓
「現実世界」
そのヒントはドイツの作家「ミヒャエル・エンデ」氏の児童向けファンタジー小説
「はてしない物語」にある。
(因みにこの小説はとても面白いのでおすすめだよ!)
この物語の主人公は「バスチアン・バルタザール・ブックス」
彼は太っていて、のろまな少年だ。
そしていじめにあっている。
そんな彼が、ある日「異世界」である「ファンタジーエン」にいき、「ファンタジーエン」で様々な体験をするのがこの小説の大筋だ。
異世界での不思議な体験、出会いを通して彼がどうなっていくかは是非とも本で味わってもらいたい。
今回の話で重要なのはバスチアンが「異世界」から「現実世界」に帰ってきた後、の変化である。
言葉で説明すれば簡単だ。
要は精神的にたくましくなって帰ってきた。
ウジウジ、メソメソせずに父に自分の意見をいっぱり発言し、いじめっ子にたいしても強い姿勢を見せた。
成長して帰ってきたってこと。
今思いついたが、映画「千と千尋の神隠し」も同じ構図だ。
主人公の千尋は「異世界」に行って様々な体験をした後「現実世界」に帰ってくる。
千尋が「現実世界」に帰ってきた後の描写が描かれていないので、千尋が成長して帰ってきたかどうかはわからない。
しかし、「異世界」にて千尋がハクと出会い、仲間と出会い、必死に働き、危険な目に遭いながらも意思を持って真剣に行動したことで、彼女自身が大きく変わっていったのは明白だ。
で、
俺は。
俺たちはRPGを通して「異世界」にいくことで、成長できるよ!
なんて、ありきたりで簡単な主張をしたい訳じゃないんだ!
そうじゃない!
大切なことはもっと根本的なところにある
つまり
RPGで「異世界」を体験できることそれ自体に価値がある
って言いたいのだ!
ここではない場所
不思議な世界
不思議な生き物
モンスター
仲間との出会い
新しい価値観
そんな「異世界」を味わうことそれ自体に価値があるのだ。
ゲームを通して「異世界」にいくっていうのは悪く言ってしまえば一種の
「現実逃避」
である。
だってRPGの「異世界」には「営業ノルマ」もなければ「入試や資格の試験」もない。
「異世界」には嫌な上司もいなければ、つっかかってくる嫌なA君もいないのだ。
で、
この「異世界」で、楽しく不思議な体験をしながら、心を休め、英気を英気を養い、プラスα何かを新しい価値観や考え方を得て「現実世界」に戻ってくることが、RPGだからこそできる価値だと思うんだ。
確かにずっとゲームに没頭しゲームの「異世界」にい続けることはよくない。
しかし、RPGを通してある種の「現実逃避」をすることで、私たちは、癒しを得る。英気を養うことができる。
思えば、バスチアンや千尋は「異世界」にいく前、
それはもう気怠げで、生気がなく、だらっとしていた。
それがどうだろう!
彼らは「異世界」にいき様々な出会いや体験を通してみるみる、キラキラと輝いていく。
自分たちの中に眠った「生きる力」が目覚める。
ひねくれた見方と言われればそれまでだが
バスチアンや千尋は「現実逃避」する必要があった為「異世界」に誘われた。
とみることができる。
バスチアンの場合はいじめと父親との関係
千尋の場合は転校と新しい環境
これらに対する「現実逃避」
RPGを通して「現実逃避」することで彼らのような素晴らしい経験ができる。
なんて言わない。
しかしRPGを通して「現実世界」から「異世界」に行き、再び「現実世界」に戻ってくるっという行為に非常に「価値」があると思うのだ。
以上になります。今回は「JRPG」をベタ褒めしてみました。
「ゲームなんて時間の無駄だ」
と考える人がいますが、個人的にはゲームの価値は計り知れないほど素晴らしいものだと思います。
もちろん、ずっとゲームの世界に居てはいけません。
しかし
時にRPGの「異世界」で
思いっきり羽を伸ばして
思いっきり現実逃避して
心を休め
英気を養い
再び新しい気持ちで「現実世界」で頑張ってみるのもアリなんじゃないかなぁ。
と思います。
JRPGは最高です。
ただやりすぎ(異世界に入り浸り)だけは注意ですね。
余談
俺は、なんだかんだいって、いまだに「ゲームしたい」欲求と戦っている。
そして、俺はその欲求を抑えるために何を思ったか夜な夜な、寝る時間を割いて
「オリジナルのゲームキャラクター」
を考ては描き、妄想を楽しむ
そして更にそれをカードゲームにして悦に浸るという
怖ろしく、そして悲しい遊びに興じることで「ゲームしたい欲求」を抑え込んでいるのだ。
そして「オリジナルのゲームキャラクター」をデザインするのって案外時間がかかる。笑
「そんな時間があるんだったら、普通にゲームすればいいじゃん!」
そう思われて仕方がない。
一応、「インスタ」に描いた絵がありますので、よろしければそちらも「フォロー」などお願いします。
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