BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

DIR EN GREY の「The World of Mercy(ザ・ワールド・オブ・マーシー)」の感想、および考察

「The World of Mercy」は日本のロックバンド「DIR EN GREY」の30枚目のシングル曲で2019年9月にリリースされた。
この曲は10分を超える長編であることが発売前から分かっており、どんな曲になるんだろう。
と期待していた。
で、
発売から半年くらい聞き込んだので、今回は曲の感想と考察を記事にしていきたい。

まず、大前提でありますが、
この記事は「The World of Mercy」に対する個人的な意見であります。
音楽やアートに対する考え方は色々あって良いと思っていますので、
1個人の意見として気軽に読んでいただければ幸いです。

それじゃいくぜ!!

結論からいきます。
この曲の主張は
「マジョリティ(多数派)」に染まって濁る(死ぬ)か「マイノリティ(少数派)」であることを貫き「自分らしく生き」続けるか
もっと簡単に言ってしまえば
「マイノリティ(少数派)」(それでも自分らしく生きようとする人)に対する応援歌
だと思った。
そう思った理由を

  1. 「京」氏の作品は常にリスナーに「問い」を提示する
  2. 「マイノリティ(少数派)」を応援しているのは「悪魔」かもしれない

の2点で書いていきたい。
(記事では「京」氏は以下「京」と敬称は省略させていただきます)

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 「京」氏の作品は常にリスナーに「問い」を提示する

まず「The World of Mercy」は2018年にリリースされたアルバム「The Insulated World」の世界観を引きずったシングル曲である。
それと同時にPV(プロモーションビデオ)も参考にする。
PVでは高校生の「いじめ」映像が痛々しく描かれていた。
で、
ここで単純にこの曲を「いじめ」がテーマだ。
と決定づけてはいけない。
何故って?
つくってるのは京だよ??
(PV制作においても京が積極的に関わっている)

京はリスナーに
簡単に答えを与えない
彼はそういうスタンスをとる作家だ。

  1. 解釈は聞き手に任せる。
  2. 絵をみるように自分たちの音楽を聞いて欲しい。
  3. 聞き終わった後、個人個人で何が残るか。そこは任せている。

という発言をしている。
このスタンス。
一見
「どういう風に聞くのも聞き手の自由だよ」
という優しい言葉に聞こえる。
しかし、実はこれ。
リスナーが「その曲(作品)」に対して能動的に感じ取る姿勢を迫られているのだ。
じゃないとみごと京に
煙に巻かれてしまう
それはまるで悪魔のいたずら
。。。

これは「表現者(作家)」の中に見られる傾向なんだけれど、

  1. 抽象度を上げてあえて分かりにくくする。
  2. 曲に対する解釈の選択肢を増やす。要は、作家の本意に辿りつき辛い。
  3. あえて、ひねくれた、分かりづらい、捉えにくい描き方をする。

という「表現方法」をとる「表現者(作家)」は結構多い。
コンテンポラリーアート現代アート)はまさにこの世界だ。

因みに自分も、この描き方が大好きでして。
自分の場合はコンセプトをガッチガチに固めておきながら、
展示の際は、ほんの少しのヒントしか鑑賞者に与えない。
というスタンス。

この描き方には2つの面白さがある。
1つ目。
表現者(作家)とリスナーとで、作品に対して違った「感銘」「考え」「価値」が生まれる。
表現者(作家)が予想しなかった考え方が、鑑賞者やリスナーから生まれるのは本当に面白い!
コンテンポラリーアートの醍醐味はここにある。
2つ目。
「疑問」を抱え続ける楽しさを味わうことができる。
今日、私たちは
何か疑問が生まれるとすぐに答えを出そうとする。
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私たちは疑問が生まれるとすぐにネット検索して答えを手に入れてしまう。
確かに、より早く、「答え」が欲しい。
より早く、問題を「解決」したい。
というのは当然の心理だ。
しかし、
アートの楽しみ方の1つに
疑問を抱え続けること
がある。
例えば、
「ガスが壊れて火がつかなくなってしまったわ!どうしたら良いの?」
この場合の「疑問」は早急に調べて、解決する必要がある。
しかし
アートの場合、
すぐに解決させなければいけない「疑問」というのは存在しない。
そしてアートの場合、
「疑問」は「余韻」に繋がる。
「The World of Mercy」の場合
「この曲はどういうコンセプトなんだろう」
「なんでマーシー(慈悲)と謳いながら、PVではいじめが繰り広げられているのだろう」
ここで浮上する「疑問」に対して安直に答えを出さず
そのまま「余韻」として頭に残して
「疑問を抱えること自体」
を楽しむことができる。

長くなってしまったが、まとめます。

京は、作品づくりにおいて
「簡単に答えを与えない」というスタンスをとっている。

そのメリットは2つ
(2つと言いながら3つになってしまいました)

  1. 表現者(作家)とリスナーとで、その作品に対して違った「感銘」「考え」「価値」が生まれる
  2. リスナーが作品から感じ取った「疑問」は「余韻」としてリスナーの心に残り続ける
  3. 後「いたずら心」(作家からリスナーへの「答えのでない、問い」のプレゼント)

くどくど長くなってしまったが、
結局、何を言いたいかって言うと、
DIR EN GREY」の曲を楽しむ場合、
リスナーにはじっくり「味わい」「考え」ながら曲を楽しむのが良いね。
ってことです。
だから彼らの音楽は一見分かり辛く、スルメ曲が多いと言われるのでしょう。

因みにゲーム
ドラッグオンドラグーン」や「ニーアシリーズ」
を手がける「横尾太郎」氏も、この手のスタンスをとる作家な気がする。

「マイノリティ(少数派)」を応援しているのは「悪魔」かもしれない

さて、
ここからは曲に対して考えを深めていきたい。

私たちは生活をおくる上で、必ずどこかの
「コミュニティ(共同体)」
に所属しなければならない。
それは、学校や会社。
で。
そのコミュニティの中では
「マジョリティ(多数派)」と「マイノリティ(少数派)」が存在する。
そして、
やはり、と言うべきか。
「マイノリティ(少数派)」は淘汰されるイメージがある。
出る杭は打たれる
という言葉があるが、
人と価値観が違う、趣味が違う、という人がいる場合、
この国(日本)はそれを否定、敵視する傾向が依然と残っている。
(ユーチューブなどのSNSが盛んになって、少しづつではあるがこの環境も変わってはきているが)
。。。
そして
もちろん、京は
「マイノリティ(少数者)オブ マイノリティ(少数者)」
言い方を変えれば
自分が追究している
「表現(音楽)」
(それは決して万人受けする者ではないが)
を自分らしく、どこまでも追いかけ続ける人
ここで、「マイノリティ(少数派)」にはどのような選択肢があるのだろうか?

  1. 「マジョリティ(多数派)」に混ざって自分を偽って生きる
  2. 「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生きる

「The World of Mercy」ではこの2つだと言っている。
選択肢1つ目
「マジョリティ(多数派)」に混ざって自分を偽って生きる。
を前半、お経っぽく始まってサビ「ハイトーン」で歌う。

「手を取って繋ぐ世界 まだ見ぬ世界で、腐ろう」

自分を偽って生きた先に待っているのは「腐る(死)」
余談になってしまうが、このサビで面白いのは、
これが中学校の義務教育が推薦する
「綺麗な音楽」の場合、
「手を取って繋ぐ世界 まだ見ぬ世界で、共に咲こう!」
みたいになるんだろうなぁ。
京が描くこの毒の効いた、皮肉たっぷりな感じが好きです。

結局のところ
自分を偽って「マジョリティ(多数派)」に混ざって生きる。
この先に待っているのは「死」だと、京は言う。
そりゃ。ねぇ。
常に「マイノリティ(少数派)」の前線にいる京なら、
「マジョリティ(多数派)」に混ざるくらいならば死ぬんだろうな。

そして「マジョリティ(多数派)」に混ざって濁るくらいならば
選択肢2つ目
「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生きる。
 

「マイノリティ(少数派)」であること認め、肯定して、
自分らしく生き続けろ!!
って歌詞の後半で歌っているのだ。

「無様でも良い 血を流せ お前は生きている お前の自由を探せ」

こんなにも「マイノリティ(少数派)」の背中を力強くおしてくれる歌詞があるだろうか!
ここで分かってくる。
この曲は常に「マイノリティ(少数派)」の前線を走り続け、
常に、新しさと進化(深化)を追い求め続けた、
京から「マイノリティ(少数派)」さんへの応援歌だ!
と。
。。。。
なんだけど、、、、
肝心の
「無様でも良い 血を流せ お前は生きている お前の自由を探せ」
の歌詞のところ、
デスボイスで歌ってるんだよね。
え?
ここで生まれる「疑問」
この「マイノリティ(少数派)」さんへの応援、後押しは
京の応援の言葉なの?
それとも悪魔の囁き?

って言う「問い(疑問)」がリスナーに生まれる。
出たよ!
作家、京からの「問い」あるいは「いたずら」
ここでもう一度冷静に2つ目の
「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生きる。
という選択肢をみたい。
くどいが京自身は常に「マイノリティ(少数派)」だったし、
自身の表現を追究する上で、彼は感性を研ぎ澄ませ、
より「マイノリティ(少数派)」に向かっていった。
しかし。
そんな京だからこそ
逆に
「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生きる
ことの「大変さ」「辛さ」「孤独さ」
を誰よりも知っているのだろう。

考えてみれば「マイノリティ(少数派)」であることを肯定し、それを貫き続けることは、並大抵のことではない。
自分に対する共感者は当然減っていく。
どんどん孤独になっていく。

だからこそ、この部分をデスボイスで歌いあげることで、

  1. 「マジョリティ(多数派)」に混ざって自分を偽って生きる
  2. 「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生きる

という選択はあくまでもリスナーに任せてるんだな。
って解釈した。
しかし。
動かない確かな事実が1つある。
それは京自身は
「マイノリティ(少数派)」であることを一貫して生き続けて、
今も現役を貫きながら、
更に自身の「表現」を追究し、
文字通り、血を流して「歌い(表現)」続けている。

という事実である。

以上になります。
今回は
DIR EN GREY の「The World of Mercy(ザ・ワールド・オブ・マーシー)」
の感想、および考察
でした。

私たちは、どこかのコミュニティに所属しない限り、生きていくことはできません。
無人島で1人暮らしするなら別か。。。
そして、コミュニティに所属する以上、必ず人間関係が生まれ、
そこには大小あれども
「マジョリティ(多数派)」と「マイノリティ(少数派)」が存在します。
仮に「○○学校」や「〇〇企業」に所属してる場合、
自分がそのコミュニティに「辛さ」「生き辛さ」を感じる場合、
わざわざそのコミュニティの「マジョリティ(多数派)」に迎合せず、
京の言葉を借りるならば混ざって濁らず、
逃げてしまっても良いと思います。
京みたいに
「マイノリティ(少数派)」の前線を走り続けよう!
ってことではありません。
一回、逃げて自分が自然体でいられる
生きやすいコミュニティ
を見つけるって選択肢もあるってことです。
無様ででも良いので、痛みを恐れず(血を流し)より良いコミュニティを探す。
最後の歌詞のフレーズが京の言葉か悪魔の囁きかは分かりませんが、
「The World of Mercy」は、ついつい考察したくなる、面白い曲でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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