BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

「雑記」不安や悩みで困った時の対処法!神社に行く

Hi!
私たちは、程度の差はあれ、誰しもが何かしらの不安や悩みを抱えて生きている。
仕事、恋愛、怪我や病気、試験、人間関係、など悩みの種類も多種多様だ。
今回はそんな悩みや不安を晴らす方法をシェアしたい。
悩みや不安の対処法。それは
神社に行く。手を合わせて拝む。
である。
誤解しないでほしいが、この記事はスピリチュアルや宗教に話の筋をもっていかない。
だからスピリチュアルや宗教関係の話が苦手な方も是非読んでいただければ嬉しいです。
「いやいや、アレックス。お前の悩みなんてどうせ大したことないんだよ。凄く深刻な悩みに苦しんでいる方も神社に行けば解決するのかよ?」
確かにその通りだ。
深刻すぎる悩みや、精神を病んでしまった方は、専門家に意見を聞いたりや病院に行ったりすることを優先すべきだろう。
だが、そういう固いノリだと一向に話が進まないので、気軽な気持ちで読んでいただければ幸いだ。
文体が軽い点などございますがご容赦ください。
話の流れは
俺のかつての悩み話からはじまる。
そしてその悩みが神社に行くことで徐々に解消されていく経緯を語りたい。
こんな感じ

  1. アレックスのかつての悩みと神社との出会い
  2. 神社を体験型の施設と捉え、一連の体験を真剣におこなおう

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寅年!

アレックスのかつての悩みと神社との出会い

まずは俺が抱えていた悩みと神社との出会いを書きたい。

俺は「表現」が好きで。「絵画」や「音楽」が好きだ。
だから将来的には絵画制作を仕事にしたい。
当時はそう考えていた。
今の仕事をしていては、絵画制作の時間を十分確保することはできない。
と考え退職。
俺は1年間、大きなコンペ(公募)に入選する為、絵を描くことだけに集中した。
俺は入賞することにかけたのだ。
自信はあった。
しかし
5次審査中、4次で落選
悔しかったし納得がいかなかった。
貯金も削れた。
ここで不安や悩みに襲われる。
「もう絵画制作を仕事に結びつけるのは諦めるべきか(悩み)」
「これから先、仕事はどうしたらいい(悩み)」
「貯金をがっつり消費してしまった(不安)」
具体的にはこの様な不安や悩みに襲われた。
正直、絵画制作自体ももう好きかどうなのかさえ、分からなかった。
入選できなかった悔しさとこれからの人生に対する不安で一杯な中
誰かに八つ当たりしたかった。
慰めてもらいたかった。
「友達や恋人に相談すれば良いじゃん」
と言うかもしれないが、悩みが深刻すぎて、他人に相談できるレベルではなかった。
他人に話しても解決する問題じゃない。
とすると。。。
俺は考えた。
「神様に相談だっ!!!」
馬鹿らしく聞こえるかもしれないが、俺は真剣だった。
友達に、恋人に、両親に相談したところで、友達や恋人や両親を悲しませるだけで、
この俺の問題は絶対に解決しない。
だってコンペに向けて仕事もせずに1日中、9時間くらいずっと絵を描いてるんだぜ?
ふつうそんな奴の気持ちなんて理解できなくね?
その気持ちが理解できるのは
同じ境遇の人間か神様しかいない!
そう考えた。
ここから俺はちょくちょく神社に行くことになる。
初めは手を合わせて拝み悩みを伝えた。
「もう絵画制作の道は諦めるべきですか?」
みたいな質問をして、アンサーが欲しかったのでおみくじをひいた。
俺はいろいろな神社に行ってそんなことを繰り返した。
すると、なんだか心が軽くなっていく実感を得る様になる。
この、「心が軽くなっていく感じ」については後で詳しく説明します。
状況は何も変わっていないのに、不安や悩みに対して楽観的になっていくのを感じた。
俺は味をしめて、西へ東へさまざまな神社に参拝にいった。
何ヶ月間も部屋に閉じこもって絵を描いていたインドアだった奴が
突然アウトドア化した。
そう。
いつからか俺は神社巡りを楽しみつつ、旅行そのものを楽しむ奴になっていた。
ここまで記述していて今更感があるが
俺の悩みや不安は主に仕事のことである。
神社巡りをするにあたって、常に仕事のことで拝んだ。
貯金が削れていくのはヤバいと考え、一時的に事務関係のアルバイトをしながら
仕事を探した。
就活&神社巡り
そんな生活。
神社巡りをしながら、祈り続けて感じたことがある。
それは
自分が「今」とるべき(取らなければいけない)アクションが明確化する。
である。
例えば
「神様。私は絵を仕事にしたいんです。良縁をお授けください」
と願ったとする。
すると、
「じゃ、アレックスはどういう行動をとったら良縁をゲットできる?
いくら神様が良縁のチャンスを与えてくれたとしてもアレックスが最善の行動を取らない限りなんにも起きないぞ。
今、俺がとるべきアクションはなんだ?」
こう考える様になった。
俺は考え続けて(祈り続けて)この2つの考えに至った。
1「絵画制作を仕事のするという夢は諦めたくないからコンペ(公募)への挑戦は続けたい」
2「仕事は、絵を描く関係の仕事がしたい。以前からやってみたかったデザイナーになりたい」
と。
デザイナーへの就職活動が楽ではないのことは分かっていた。
しかし、おみくじをひくと
「無理です。諦めなさい」
みたいなものはなかった。
だから謎の自信があった。
とはいえ現実生活もタイムリミッドが近づいている。
「けど、ここで諦めるってことは神様の助言に逆らうことになってしまうぞ」
「どうしよう(泣)」
謎の八方塞がり感があった。
俺は期間を決めて、デザイナーへの就職活動をし、
その期間が切れたら諦めることに決めた。

結論ですが、ありがたいことに今は企業でデザイナーとして働かせていただいています。
そして絵画のコンペ(公募)に向けて絵画制作をしている。
もちろん、今も悩みや不安はあるが、
神社に行き、参拝をすることで
何か流れが変わった感
を体験した。
もちろん、神社参拝すれば願いが叶う訳ではない。
何かしらのアクションを取らなければ何も始まらない。
しかし、神社に行き参拝することで
・何だか心が軽くなり、不安や悩みに対して楽観的に向き合うことが出来る。
・自分の中で取るべきアクションが明確化されるのである。
という良い感覚を得た。

神社を体験型の施設と捉え、一連の体験を真剣におこなおう

何気なく見ていたアメリカのYouTuberさんのある言葉が非常に気になった。
アメリカって体験型の娯楽施設がないんですよ。
だけど日本の神社やお寺って自分が体験できる。
その場所に行って拝む。この体験がとても良い。
だから神社やお寺が好きなアメリカ人は多いです」
なるほど。なるほどね。
神社を遊園地やスキー場などの体験型の娯楽施設一緒にすることはできないが、
神社を体験型の施設だと考え方は非常に面白い。
手水舎で手を濯ぐ、鳥居をくぐる、賽銭箱に賽銭を入れる、両手を合わせて拝む、
などの行為には決まりがありいずれも体験型(儀式)と言うことが出来る。
断っておくがここでは「神様を信じる、信じない」みたいな話(スピリチュアルや宗教の方向)はしない。
神社内でのさまざまな体験(儀式)を物凄く真剣に行うことに価値がある
と俺は言いたいのだ。
物凄く厳粛に賽銭を入れ、物凄く真剣に拝むのだ。
それの何が良いのか?
良い点は2つある。
1つ目は徹底的に自分と向き合うことが出来るということ。
上記でも参拝することで
「自分の中でとるべきアクションが明確化される」
と記述したが、
拝んで悩みや、悩みに対する救いを神様に求めている時
それは同時に徹底的に自分に向き合っている状態と同じなのである。
2つ目は「今の自分」を許すことが出来るということ。
これが上記で書いた
神社に行き参拝すると
何だか心が軽くなり、不安や悩みに対して楽観的に向き合うことが出来る
訳である
私たちは日常生活の中で大小あれども自分が思っているよりずっと
自分自身を責めて生きている。
1日の中で「9」誉められることがあっても
「1」貶されたり、悪口を言われたり、叱られれば
「9」の誉められ事はなかったことになって
自分の「1」の汚点を責める。
「本当の俺はもっと凄い」
とか、
「私はあの時なんでもっと良い方法が取れなかったのかしら」
とか
俺の場合だと
「コンペで全力を尽くしたのになんで4次で落ちるんだよ!」
ですね。
そんな感情を真剣に拝むことで神様が幾分、その感情を掬って(救って)くれる。
この場合、おみくじを引いて神様の助言をいただくことも効果的である。
神様を信じる、信じない
という疑問提示を「あえて」せず、そこはぼんやりとさせておいたとしても、
神社に行って参拝する
という行為に価値はあると思うんだ。

以上になります。
今回は
「不安や悩みで困った時の対処法!神社に行く」
でした。

誰しもが、楽しく幸せに生きたい。
という思いは変わらないのに、
悩みや不安はやってくる。
だからそれはもうしょうがないことと割り切る。
じゃあどうするか?
悩みや不安があったら神社にいって参拝するという手段
アリですよ!

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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