BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

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漫画・アニメ「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の主人公、緋村剣心の強さを考える

るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」は和月伸宏による日本の漫画作品で1999年に「集英社」の「週刊少年ジャンプ」で連載が開始された。
アニメ化や実写映画化もされており、この作品は今日も多くのファンに愛されている。
また、2017年より、続編にあたる、「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚・北海道編-」が「ジャンプスクウエア」より連載中だ。
で、
この漫画の主人公
緋村剣心」がかっこいい!
強くて優しい。
中性的な容姿は美しい。
アニメが「京都編」の後、中途半端な形で終わってしまったので、漫画を買い揃え夢中になって読んだ。
とても気持ちの良い最終回だったのを覚えている。
しかし悲しいことに、月日が経って大人になるにつれ、「るろうに剣心」という漫画・アニメの印象は俺の中で薄れていった。(悲しい)
しかしある夜、俺は1人、お酒を飲みながら落書きをしていた(虚しい)
そして翌日その落書きをみると「剣心」が描かれていた。
どうやら俺は酔っ払って「剣心」を描いていたようだ。
ということで!
せっかくなので、今回は「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の主人公「緋村剣心」の「強さ」について考えてみたい。
そして「緋村剣心」の「強さ」を考えながら改めて、「緋村剣心」の魅力に迫りたい。
剣心の強さを時系列にしたがって、
「人斬り抜刀歳(狂気)」(要人暗殺業時代)
「人斬り抜刀歳(冷酷)」(遊撃剣士時代)
るろうに剣心(自己否定)」(明治から奥義習得以前)
緋村剣心(自己肯定)」(奥義習得以降)
緋村剣心(悟り)」
の5つに分けて考えていきます。
あくまでも「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」という作品の主人公
緋村剣心」の「強さ」について考えていきます。
なので「緋村剣心」についての話がメインです。
この作品を読んだ人向けの記事になります。

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来歴 
緋村剣心」(以下剣心)の正体は長州派維新志士で幕末最強と謳われた「人斬り抜刀歳」である。
剣心は当時、国の平和と行末を憂いながら維新志士として、幕府の「要人暗殺業」を請け負った。
そこには国の平和を思う気持ちがあった。
しかし現実的には、
人を斬り続けなければいけない
という自分の使命に、剣心はひどく苦しみ彼の精神は蝕まれていく。
そしてその過程で、剣心は当時、自分にとって最も大切な人を失ってしまう。
しかもそれは事故とは言え、その最愛の人を自らの手で殺害してしまうという形。
年号が代わり新時代がくると、剣心の姿はなく。。。。

これが剣心のおおまかな背景。

物語の始まりである第1話(第1巻)は新時代(明治)に入ってから10年後のこと。
神谷活心流道場師範代「神谷薫」との出会いからはじまる。

剣心の魅力の1つに彼の圧倒的な強さがある。
さすがは「幕末最強」の名をほしいがままにした男。
強すぎる!
剣心は「飛天御剣流」の使い手で、
「剣の速さ」
「身のこなしの速さ」
「相手の動きの先を読む速さ」
の3点を最大に活かして戦う。
それはまさに「神速」
どんな強敵でも剣心の前ではまるで赤子。
それくらい圧倒的に強いキャラクターとして描かれている。
しかしそんなとんでもなく強い剣心も作中においてその強さに変化が見られる。
今回は剣心の強さについて一歩踏み込んで考えたい。

まず、剣心の強さを考えるにあたって、この作品の
「強さ」とは「戦闘力×心(意思の強さ)」
の掛け算であることを前提としたい。
どれだけ「戦闘力」が高くとも、「心」すなわち
「意思の強さ」や「心の強さ」「信念の強さ」
が弱ければ、作中では「弱く」描かれている。
例えば、作中、敵の「石動雷十太」は決して「戦闘力」が低いわけではないが、
心が弱く、信念もすぐに折れてしまった
逆に、「雪代巴」の婚約者「清里」は
「戦闘力」は低いが「意思の強さ(生きたいという強い気持ち)」
が大きかった為、剣心に傷を負わせた。
そこを踏まえて剣心の強さを考える。

個人的に考える剣心の強さの変化は5段階。

「人斬り抜刀歳(狂気)」(要人暗殺業時代)
「強さ●●●」

「人斬り抜刀歳(冷酷)」(遊撃剣士時代)
「強さ●●●●」

るろうに剣心(自己否定)」(明治から奥義習得以前)
「強さ●●」

緋村剣心(自己肯定)」(奥義習得以降)
「強さ●●●●●」

緋村剣心(悟り)」
「強さ●●●●●」

である。
(かっこ内は勝手に命名

「人斬り抜刀歳(狂気)」(要人暗殺業時代)
「強さ●●●」
まずは、「要人暗殺業」をおこなっていた「人斬り抜刀歳」の時代。
もっとも若く、精神的にも未熟な時期。
「要人暗殺業」という役職上、多くの人の命を奪っている他、暗殺を目撃した罪なき人の命さえも容赦無く奪う。
非常におっかない。
剣心は本来、優しくて真面目な性格をしている。
人を傷つけることや争いは好まない性格だ。
だから「暗殺」「人殺し」という非常な行為を行うにつれ、
剣心の精神はおかしくなっていく。
ちなみに「要人暗殺業」という役は「志々雄真実」に受け継がれるが、
志々雄の場合は彼の性格上、簡単に(むしろ楽しそうに)任務をこなすから面白い。志々雄は剣心とは圧倒的に考え方が違い
「強ければ生き、弱ければ死ぬ」
の弱肉強食を謳っている。
だから
「弱いんだろ?じゃ死ねよ(笑」
みたいな感じであっさり人を斬り捨てる。
しかし、剣心にはそれができなかった。
剣心の「本質」「気質」は
「人の為に動く」
「人の助けとなる」
だからである。
この時の剣心は「戦闘力」はかなり高いように思われるが、
「心(意思の強さ)」は低い。
剣心自身は
「使命だから」
と自分の心に言い聞かせているが、これは剣心が本来持っている気質ではない。
精神状態は非常に悪く
狂気の人斬りマシーン
といった印象である。

「人斬り抜刀歳(冷酷)」(遊撃剣士時代)
「強さ●●●●」
不可抗力とはいえ、自らの手で最愛の妻「雪代巴」を殺してしまった後から、幕末の終わりにかけての剣心。
彼は、巴を殺してしまった後、
「剣を捨ててしまったら、それこそ、巴に申し訳が立たない。せめて平和な時代が訪れるまでは剣を振るいたい」
と思い、「遊撃剣士」となって剣を振るう。
この時代の剣心こそ「幕末最強」
「遊撃剣士」として、幕末、さまざまな猛者を切り捨てる。
新撰組三番隊隊長「斎藤一」ともこの時代に剣を交えており、
斎藤も剣心を高く評価している。
剣心が幾度となく死に目にあい、多くの強敵と戦ったと思われる時で、
戦闘能力は(要人暗殺時代)よりも上がっているように思われる。
また、巴を亡くすという悲劇に見舞われているためか、
その雰囲気は常にどこか冷めており、
より人斬りとして「冷静さ」と「冷酷さ」の雰囲気をおびた。
冷静に、冷酷に人を斬り捨てるようになった印象だ。
しかし、「心(意思の強さ)」という側面においては
「人の助けとなる」
という剣心の本質からは遠いことに変わりはなく、低いように思う。
ちなみに剣心が人斬り抜刀歳に立ち戻る時はこの状態に戻る。

るろうに剣心(自己否定)」(明治から奥義習得以前)
「強さ●●」
幕末の動乱が終わり、逆刃刀を持って
「弱い人の助けとなりながら」
世界を巡り、「神谷薫」と出会い、
仲間と出会い「比古清十郎」によって奥義を授かるまでの間。
要するに本編。
この時の剣心は人斬り時代とは違って非常に優しく、穏やかな性格をしている。
人斬り時代からはおよそ10年経過しており、彼は弱い人の為に逆刃刀をふるって人を助けてきた。
人を切ることをやめ、「不殺(ころさず)」を誓っている。
また、幕末の動乱期とは異なり強敵との命を賭けて戦うことも減った為、
剣心自身の戦闘力はかなり低下している。
(それでも圧倒的に強いわけですが)
「心(意思の強さ)」は
「人の助けとなる」
という彼の気質や本質に近づいた。
しかし、実は「心(意思の強さ)」は決して高いとは言えない。
なぜなら剣心はその実
超、自己否定的
だからである。
師匠である比古にも
「多くの人を斬ったお前は自分の命すらも軽んじる」
と指摘されているが、
剣心は内心「自分の在り方」を否定している。
なぜなら、
自分の生き方が(生きた結果が)巴の死を招いたから。
だから、剣心は他人を助ける為ならばすぐに自分の命を犠牲にしようとする。
また、他人の過ちを許す優しさ、寛大さを持っているが、
なぜ剣心が他人の過ちを許し、他人に優しく、敵にまで情けをかけることができるか?
を考えてみると、
最も許すことのできない人間は自分自身だから。
という背景を見つけることができる。
剣心にとっては他人より、敵役より、誰よりも自分自身が一番許せないのである。
なぜなら多くの人の命を奪ってしまったこと
そして最愛の妻である巴を自らの手で殺めてしまう、
という、過去を背負っているから。
しかしだからこそ。
かつて大きな過ちを犯し、結果、想像を絶するほどの悲しみと苦しみを味わった剣心だからこそ、
彼は「人の痛み」に敏感で「人の痛み」が良くわかる。
俺は、
この
「儚さ」と「優しさ」
「強さ」と「脆さ」
が入り混じったこの時の剣心が一番好きだったりする。

緋村剣心(自己肯定)」(奥義習得以降)
「強さ●●●●●」
比古によって「天翔龍閃」を授かった後から、薫の死亡を目撃まで。
剣心は奥義習得とともに、
「生きたい」という生への執着を強く意識する。
この段階で「天翔龍閃」というチート奥義を習得し、戦闘力は大幅に向上する。
そればかりか剣心はようやく
「人の助けとなる」
という本来の気質を強く意識するとともに
「自分の命を大切に扱う」意識を持つ。
「生きようとする力は何より強い」
と、本人は言っているが、
「生きようとする意思」を認識することで、それまで抱えていた「自己否定」を払拭した。
剣心はこれまでどこか漂っていた、「儚さ」や「脆さ」はなくなり、
盤石な精神状態を築き上げた。
人斬りの性格に立ち戻ることはなくなり、戦闘力、「心(意思の強さ)」ともに高水準となった。

緋村剣心(悟り)
「強さ●●●●●」
「神谷薫」死亡によって精神が壊れてから、「三条燕」の助けを聞いて、
「人を助けたい」「人の助けとなりたい」
という思いを強く認識してからそれ以降。
剣心の「意思の強さ」は盤石なものだったが、それが更に上がる。
1回、精神的に壊れることとなる剣心は
燕の助けの声によって自身の中に眠っていた
「人を助けたい」
「人の力になりたい」
という剣心が本来持っていた本質、気質を目覚めさせることになる。
これによって剣心の精神は「悟り」の状態になったと考える。
「心(意思の強さ)」は非常に安定しており、
その安定した精神状態から放たれる「飛天御剣流」は圧巻。
しかし、過去の戦闘によって蓄積したダメージや「高荷恵」の指摘を考慮し、
戦闘力がやや低下していると判断(独断)したため強さ(●)は5つとした。
「悟り状態」の剣心には心に隙がなく、完璧人間すぎるので、
個人的には、
「人斬り抜刀歳(冷酷)」(遊撃剣士時代)

るろうに剣心(自己否定)」(明治から奥義習得以前)
の頃の剣心の方が好みだったりする。

以上です。
今回は

漫画・アニメ「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の主人公、緋村剣心の強さを考える
でした。
改めて剣心という人物像に迫ってみると
彼がとても優しくて、真面目な人間であることがわかります。
そして同時に、想像を絶するほどの苦しみと悲しみを背負った人物でもあります。
しかしだからこそ、人の痛みに敏感で、人の過ちを許すことができる人なのです。
奥義を習得するにあたって、剣心は最終的には
一番許すことのできなかった自分自身を許す
ことができました。
それは結果として剣心を心から想う「神谷薫」「相良佐之助」「明神弥彦」の幸せに繋がりました。
剣心が最後まで自分を許せず、自身の命を蔑ろにし続けたならば、
剣心の周りの人物も不幸になります。
剣心が死んでしまったら彼を思い慕った、薫、佐之助、弥彦は悲しみにくれるしかないのです。
それを描いた結末がアニメOVAの「星霧編」となります。
あれはあれで、儚く美しいのですが、個人的にはやっぱり、漫画の大円団が好きです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
   
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