BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

「絵画」と「音楽」の関係について考えながら「絵を描く目的」に迫る。

Hi!
「絵画」と「音楽」
これら2つの分野は共に「芸術」の分野である。
小学校では「図画工作」と「音楽」
中学校、高等学校では「美術」と「音楽」
に分かれる。
2つは同じ「芸術」の分野ではあるが、高等学校では「美術」「音楽」「書道」の3つの分野から
1つを選択する「選択科目」となっている場合もある。
「美術」と「音楽」が「選択科目」だと?
どちらか1つを選べ、、、だと?
それは困った。
だって
「絵」も「音楽」も好き!
今日、「絵画」と「音楽」が合わさった「総合芸術」みたいなものや、
「音楽的な絵」逆に「絵画的な音楽」のような作品は多くみられる。
しかし、教育界で「美術」と「音楽」は分かれているからか
なんとなく、
「絵画」と「音楽」の間に溝を感じるのである。
まぁ、ぶっちゃけた話
「絵画」と「音楽」の両方を追究していくっていうのはかなり難儀。
っていう問題もある。
だって、ピアニストは1日何時間もピアノの練習をする。
絵を描くにしたって1日何時間もキャンバスに向き合う。
となると
2つを同時に追究することは時間の問題的に厳しい。
これは戦士と魔法使いのジョブを同時に極めようとするほど無謀なことかもしれない。
「絵画」と「音楽」の両方に安易に手を出すことは
「二足の草鞋を履く」ということになり、どちらも中途半端な結果しか出せない。
という指摘もある。
だけど、、、、
「絵」も「音楽」も好き!(2回目)
というわけで、今回は
「音楽」に影響されながら、「絵」を描いた作家を紹介しながら、
「絵」と「音楽」の関係に迫りたい。

そして更に、そこから一歩踏み込んで「(自分にとっての)絵を描く目的」についても触れたい。
話は

  1. 「音楽」に影響された画家
  2. 何のために絵を描くの?

の2本です。

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 「音楽」に影響された画家

「音楽」に影響された有名な画家を挙げるならば、
「ワシリー・カンデンスキー」(以下カンデンスキー)

パウル・クレー」(以下クレー)
だろう。
2人の作家は1920年代から1940年代の「抽象絵画」に当てはめることができる。
カンデンスキーは「抽象絵画創始者」とされるほど、美術史の観点からみても重要な人物だ。
で、
カンデンスキーにとって「音楽」は自身の作品をつくる上でとても重要なものだった。
「Composition」という彼の作品のタイトル。
「Composition(コンポジション)」の意味が、
「構成」「組み立て」「音楽作品」「作曲」「作文」「構図」
である。
そもそも彼の作品のタイトルが音楽用語
カンデンスキーは、音楽を聞くことで、色を感じ取り、「リズム」や「ハーモニー」を作品にしたのだ。
彼の有名な言葉に

「色は鍵盤 
目はハーモニー 
魂は無数の弦を持つピアノ 
そして画家はこのピアノを弾く手である」

という言葉がある。

この言葉からも、彼の作品が音楽から大きな影響を受けており、
彼が
音楽大好きマン
であることがよく分かる。
俺は
「カンデンスキーが大好き」
って程、彼のファンではないけれど、同じ音楽好き同士、親近感が持てる。
(何様や)
また、彼の絵画作品に対する考え方、精神性も好きだ!
カンデンスキーは「絵画の目的」つまり「絵を描く目的」が
何かを再現したり写したりすることではない
と主張した。
どういうことか。
例えば
美しい自然を描いた「風景画」や美しい女性を描いた「肖像画」は
「風景画」は「その風景」のコピー(再現)。
肖像画」は「その美女」のコピー(再現)。
だから、ナンセンス!
ってこと。
それって絵が「対象や主題(風景や人物)」のコピーであって
絵そのものとして自立してない
と。
カンデンスキーは絵画が
具体的な対象や主題がなくても色彩と形だけで自立できる
と考えた。
だから彼が目指した「絵画」は
音楽に頼りながら、「自然の束縛からの開放」や「精神世界の表現」だったのである。
この辺の「絵画」に対する考え方が個人的には好きだ。
風景画を描くんだったら、バックパック1つ背負って世界中を巡って綺麗な景色を見たい。
美しい女性を描いている時間があったら、その時間を可愛い女の子を口説く時間に当てたい。
俺のそんな性格は、カンデンスキーの「絵画」に対する考え方に似ている。
(似てるか?笑)

パウル・クレー」もまた、カンデンスキーと同じくらい
音楽大好きマン
の画家だ。
クレーの父は音楽教師、母は声楽家、妻はピアニスト。
そしてクレー自身のバイオリニストとして一流の腕を持っていた。
彼は画家となってからも、一日中バイオリンを演奏していることがあったようだ。
「もう!YOUは音楽やっちゃいなYO!」
って言いたい。
クレーは「芸術」を
「目に見えるものを写し出すのではなく、目に見えないものを見えるようにする」
と定義し、
心に眠った色や線をすくい出すようにして絵を描いた。

面白いことに、カンデンスキーやクレーなどの、「音楽大好きマン」たちの画家は、
「目に見える世界」を重要視してなかったてこと
これ。
すごく面白い!
だって「音楽」って目に見えない。
だから音楽を愛した彼らにとっても同じように、
「目に見える世界」よりも「目に見えない世界の方が価値がある」って思うのは当然のことかもしれない。
だって「音楽」がこんなにも素敵で素晴らしく、
最高に興奮するものなのにもかかわらず、
「音楽」は目に見えないんだぜ。

この「目に見えない世界」を追究した先が「シュルレアリスム」へ引き継がれたり、
「アクションペインティング」や「カラーフィールドペインティング」などの
「抽象表現主義」の基盤をつくることになる。
逆にいうと「抽象表現」の源には「音楽」が絡んでいた。
と言い換えることができる。

まとめ

  1. 「音楽」が大好きな作家、カンデンスキーとクレーにとっては「目に見えない世界」が重要であった。その理由は俺らが愛してやまない「音楽」だって目に見えないものだから
  2. 「目に見えない世界」への追究は「シュルレアリスム」や「抽象表現主義」の先駆けとなった。

何のために絵を描くの?

カンデンスキーやクレーについて改めて考えてみると、
「絵画」と「音楽」って非常に密接なように思えてくる。
「アート」の限らず、「音楽」が大好きな絵描きは多い。
漫画「ソウルイーター」や「炎炎ノ消防隊」で知られる「大久保篤」氏や
イラストレーター の「上田バロン」氏は自身が「音楽大好きマン」であることを告白している。
うーん。
やっぱり
「絵」も「音楽」もどっちも好き!
欲張りかもしれないが、これで良いのかもしれない。
だって、「音楽」が「絵」に与えること、
逆に「絵」が「音楽」に与える恩恵だって必ずあるのだから。

さて、
カンデンスキーやクレーの「絵画の目的」を見た時、
ふと浮かぶ疑問がある。
それは
「じゃあ、あなたは何の目的で絵を描くの?」
ってことだ。
今回は最後に「絵を描く目的」について考えを掘り下げたいと思う。
(一個人の考えですがお付き合いいただければ幸いです)

「何で絵を描くの?」
この質問を投げかけた時、返ってくる答えはたぶん
その人その人によって全然違う
である。

ある人はこう言う

「私は描かないといられないの。
山になぜ登るかと聞かれた時
『そこに山があるからだ』
と答えるようなものね。
キャンバスがある限り私は描き続けるわ。」

ある人はこう言う

「美しい女性を描きたい。
美しい女性をみた時に感じた喜び、感動
それを絵におさめたいんだ」

ある人はこう言う

「絵を描く行為っていうのは、『記録』だね。
描いたものは残る。
そして昔描いた自分の絵を振り返ってみた時に
今の自分と変化したこと、もしくは変わらなかったことが分かる。
それが楽しい」

うん。
どれも、その人の立派な「絵を描く目的」である。
どれが良いとか悪いとか
どっちが優れていてどっちが劣っているとか言う話ではない。

けれど、
「じゃ、自分の絵を描く目的はなんなん?」
っていうと、あんまり真剣に考えてなかった。
そして改めて考えてみた時、
自分の「絵を描く目的」がカンデンスキーの考え方に似ていたので、
この場を借りて少し考えてみたい。

自分にとっての絵を描く目的
それは

  1. 「音楽」をより身近に感じ、音楽的な作品をつくりたいから。
  2. より気持ち良い状態になりたいから。

である。
(なんか変態っぽい)
前述した通り自分も「音楽」が好きで、「ピアノ」と「歌」をやってきた。
同時に、絵を描くことも好きだったので、
なんだかんだとこれまで試行錯誤しながら描いてきた。
で、
キャンバスに向かって絵を描いている時は、当然のことのように音楽を聞きながら描いていた。
すると、不思議なことに
描きながら、その時聞いている「音楽」をより身近に聞くことができるのだ。
個人的にそれが、嬉しかった。
なんか、
「めっちゃ『その音楽』が体に入ってくる」
絵に取り組んでいるので、
集中力が上がっているからか、
感性が鋭くなっているからなのか分からないけれど、
「音楽」を聞きながら絵を描くことは最高に気持ちが良かった。
この辺に気が付いたあたりから、
自分にとっては「絵を描くこと」と「音楽」は切り離すことが出来なくなった。
そして
自分にとって
音楽を聞くことは「気持ちの良いこと」

絵を描くことも「気持ちの良いこと」
だと気づく。
「気持ち良いこと×気持ちの良いこと」=「『超』気持ち良いこと」
最高!
そして、やはりというべきか、
音楽を聞きながら、かなり高い集中力を維持して描けている時は
(要するにノッている時は)
超気持ち良い!超楽しい!
体も心も軽い軽い!!
だから、自分が
「絵を描く目的」
について改めて、考えてみると
カンデンスキーが考えるように
自分にとっての「絵画の目的」も「風景」や「人物」を写しとる行為ではなく、
「より詩的」で「より音楽的」で「なにかを超えた作品」
を追究し、つくりたいようだ。
(その辺はカラーフィールドペインティングの考え方に依拠している)
そして、それをつくる過程で
より気持ち良くなりたいから
という、ある種の「変態」が顔を出すのである。
この辺が
「(自分にとっての)絵を描く目的」
です。

以上になります!
今回は「絵」と「音楽」の関係に迫りながら「絵を描く目的」に迫る
でした。
自分にとっては「絵画」も「音楽」もどちらも大切で、
自分の制作にとっても「音楽」は非常に重要です。
だから、
「絵画も音楽も両立なんて不可能だ」
みたいな考え方はあまり好きではありません。
カンデンスキーやクレーなどの巨匠を振り返った時に、
彼らは「音楽」を自分たちの作品に取り込んでいることは言うまでもないのです。
だから、「絵」と「音楽」を切り離す考え、ではなく
「絵」と「音楽」を結びつける考えをもって、
「絵画」とも「音楽」とも関わっていく考え方が好きです。
自分自身が自分の作品に対して
音楽的であって欲しい
と願って制作しているので、
カンデンスキーやクレーの「絵画」に対する考え方や精神性はかなり好きです。
俺は
「『音楽』が無かったら、絵は描かないかなぁ」

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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