BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「素晴らしい作品は鑑賞者に相反する感情を抱かせる」という話。 「DIR EN GRER」の「THE  FINAL」という曲を参考にして

Hi!
今回もアートの魅力を語りたい。
俺が考えるアートの魅力の1つ。
それは
最高に素晴らしい作品ってのは、見る人に相反する感情を抱かせることができる
これがアートの良さの1つだと考える。
相反する感情は英語で「ambivalence(アンビバレンス)」
である。
ある人に対して
「愛情」と「憎悪」を同時に持つ感情や、
「尊敬」と「軽蔑」を同時に持つ感情が分かりやすい。
しかし
ある人に対して相反する感情を抱く
のではなく
素晴らしい作品は私たちに相反する感情を抱かせる。
例えば
とても、心が優しくなり温かい気持ちにさせるのに、同時になぜか、悲しくて堪らなくさせる絵画
怒り狂ったようなクレイジーで自虐的で超ネガティブな表現なのに、なぜか勇気づけられ、生きる希望がもらえる身体表現。

今回はアートが人に相反する感情を抱かせることについて、「DIR EN GREY」というロックバンド「THE  FINAL」という曲を例に出しながらお話しします。
もちろんこの曲は1つの例で、話の本筋はアートが人に与える相反する感情について
です。
ですので曲を知らない方でも、理解できるように書くのでみんなでアートの楽しさ、味わい深さについてシェアしていきましょう。
話は

  1. 「素晴らしい作品は鑑賞者に相反する感情を抱かせる」とは?
  2. アートの魅力は言葉では表現できないところにある

です。

f:id:alex04sandra20:20191111170219j:plain

 「素晴らしい作品は鑑賞者に相反する感情を抱かせる」とは?

「THE FINAL」は日本のロックバンド「DIR EN GREY」(以下ディル)の16枚目のシングルで、2004年にリリースされた。
とりあえず、
「THE FINAL」
こいつは最高の曲なんだ!(魂!)
DIR EN GREY」というバンドはその音楽性を驚くべき早さで進化、変化させてここまでに至ったバンドである。
このバンド
初期こそ、ビジュアル系ロックバンド、といった音楽性だったが、進化する過程でメタル、ハードコア、民族音楽さえも自分たちの音楽に取り込んでいった。
リリースされるアルバムごとでも、世界観やイメージが変わるのでファンの間でも、好みのアルバムは別れる。
そして「THE FINAL」という曲は、ぎりぎりビジュアル系ロックバンドの音楽。
みたいな位置付け。
(この曲以降、彼らの音楽性はさらなる進化を遂げるわけだがそれはまた別の機会で)

とりあえず「THE  FINAL」という曲はデスボイスやスクリームが使用されてないので非常に聞きやすい。
この曲の歌詞の内容は
「自殺未遂」
「おいおい、またその手の話かよ?堪忍してくれよ」
「なんで仕事から疲れて帰ってきてそんなに暗い曲を聞かなきゃならないのよ?」

と。
思うじゃろ?
違んだ!
ここで、今回の話のテーマに帰る。
「最高に素晴らしい作品っていうのは見る人に相反する感情を抱かせる」
これだ!
ディルの「THE FINAL」がまさにこれなんだよ!
ライブ映像にて京のパフォーマンスをみると、、
力強いんだ!
「自殺未遂」っていうか。
京のパフォーマンスを見る限り、
死に物狂いで「生」にしがみつこうとする姿勢
生きることへの執着
命を縮めてもいいから最高の表現をしたいという願い
一瞬、物凄い煌めきを放って散る花
そんなイメージ。
それはプロ格闘家のような命がけのパフォーマンス。
そんな姿を京からみるのだ。
「自殺未遂」の曲なのに。
なんて、美しく、儚く、そして力強いんだろう?
あれ?
おかしいぞ?
「自殺未遂」の曲なのに、この曲を聞いていると、
俺はなんでこんなにも生きることに喜びを感じ出してるんだろう?
「THE FINAL」は「終わり」なのに、なんでこの曲を聞き終えた後「はじまり」を感じるのだろう。
そう。
この曲は俺に相反する感情を抱かせたのだ。
この曲を聞くと抱く相反する感情。
それは
「自殺未遂」
というネガティブで後ろ向きな歌詞なのにも関わらず、
聞き手の
「生きる力」
に呼びかけ、
また
「終わり」
というタイトルなのに
「はじまり」
を感じずにはいられない。
そんな矛盾した感情を抱かせるのだ!

アートの魅力は言葉で表現できないところにある

私たち人間の心は時に単純で時に複雑だ。
例えば3日間なんにもご飯を食べていなかったら
「腹減った。ご飯食べたい」
ってなる。
けれど深刻な問題や悩みを抱えていたり、精神的にものすごく落ち込んでいたら
3日間、食事をとらなくても良いほどの状態になることもある。

すごく嬉しくて堪らない。
すごく悲しくて堪らない。
言語に落とすことは簡単だ。
しかし、その嬉しさや悲しさの度合いはわからない。
俺は
心ってやつは言語に落とし込めるほど簡単なものではない
と思っている。

凄く悲しいけど、同時に優しさを感じる
とか
切ないからこそ、温かみを感じる
とか。

言語の世界が
1、2、3、4
のような自然数の世界だとするならば、
アートは
1.1、2.4、
みたいな少数みたいな世界を表現できる唯一の手段だと考える。

「だからなんなんだよ?」
って言われたらそれまでだ。
しかし
味わい深いとは思わないか?
情緒を感じるじゃんか!

今日、目まぐるしく発展していく社会で、俺たちはどうなっていく?
一定の仕事をこなし、家族を支え、毎日を過ごす。
悩みや、複雑な思考、ネガティブな感情は自己成長には繋がらない。
お金にもならない。
だから時間の無駄だと切り捨てる。
それで良いのか?
と思うんだ。
だって私たちは機械じゃない。
そりゃ毎日、前向きに進んでいくことができれば良い。
しかし
人間が抱く思いや感情、感動は
あいにく、竹を割ったようなパキパキと割り切れるものばかりではない。
そして割り切ることのできない感情や感覚を切り捨てることが果たして本当に良いことか?
と疑問に思う。
複雑な感情や感覚。
相反する思い。
そんな心の「機微」「趣」みたいなものをアートを通してみんなで大切にしていきたいと思う。

今回は、以上になります。
素晴らしい作品は鑑賞者に相反する感情を抱かせる
という話でした。

作品を見て、相反する感情を抱くっていうのは結構レアな経験で、体験すると楽しいかもしれません。
「この作品は油絵で重厚感があるのに、子どもが自由にお絵かきするような楽しさや軽さがある絵だなぁ」
とか
「この作品は青色を多用していて、一見とても冷たい印象なのに、なんでこんなにも俺の心を熱くさせるんだ?情熱を感じずにはいられないぜ!」」
とか
言葉ではなかなか表すことのできない感動を得られることがあります。
それがアートの魅力の1つであり、アートの楽しさと味わい深さだと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ブログ村に参加しています。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村