BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「抽象的な作品」「抽象表現」の魅力に迫る

Hi!
以前記事で紹介した、
「アクションペインティング」
「カラーフィールドペインティング」
この2つはアメリカの「抽象表現主義」である。
抽象表現主義、、、
抽象
皆様は「抽象的」「抽象」という言葉を聞いた時、どういうイメージをしますか?
「難しい」
「分からない」
というイメージがどうしてもつきまとう。
「抽象的な作品」が好きな自分も
「抽象っていざ言葉で説明しようとすると難しいなぁ。面倒だなぁ」
って言うのが本音です。
しかし
「抽象的な作品」に対して、同時に
物凄く魅力的だ!!
とも思っている。
なので今回は自分なりに「抽象的」「具体的」の概念を言葉の意味から捉え直し、
更に「抽象的な作品」の魅力に迫っていきたい!
以前紹介した「アクションペインティング」「カラーフィールドペインティング」の記事も併せてよろしくお願いいたします。
話は

  1. 「抽象的」とは共通点を抜き出す事、余分な要素を捨てること
  2. 「抽象的な作品」ってどんなもの?
  3. 「抽象的な作品」の魅力と欠点

です。

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 「抽象的」とは共通点を抜き出すこと、余分な要素を捨てること

そもそも「抽象」とか「抽象的」って言うのは、どういう意味なんだろう?
これを「goo辞書」で調べると

ちゅうしょう‐てき〔チウシヤウ‐〕【抽象的】 の解説
[形動]
1いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。
「本質を抽象的にとらえる」
2頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま。
「抽象的で、わかりにくい文章」
⇔具象的具体的。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/抽象的/

と出てくる。
意味は2つ。
1つは
共通点を抜き出して一般化させる
もう1つは
曖昧。ぼんやり。
で、
1つ目の意味
共通点を抜き出して一般化させる
を図にしてみる。

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「生物」を例にして考えると
上にいけばいくほど「抽象的」
下に行けばいくほど「具体的」
になっていくことが分かる。
メダちゃん、メー、メメ子の
共通点を抜き出す
と「メダカ」になる。
イワシ、サンマ、タイ、メダカの
共通点を抜き出す
と「魚類」になる。
と言うわけだ。
「共通点を抜き出すこと」これが「抽象」「抽象的」の言葉の意味である。

抽象的な作品ってどんなもの?

では「抽象」「抽象的」を言葉の意味ではなく、絵や音楽、詩などの作品として考えた時、
「抽象的な作品」ってのはどんなものなんだろう?
まずは絵
アクションペインティングやカラーフィールドペインティングを挙げてしまうと難解になってしまうので、それらを取り上げず分かりやすいものを例にします。

下の絵は「非常口」の「ピクトグラム(絵文字)」である。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/ピクトグラム

 この絵を見た時、俺たちが絵から分かるのは
「緑」と「逃げる時はここからだ!」
ってことだ。
逆に
この絵の人間が男性なのか女性なのか
髪が短いのか長いのか
絵の中の緑の人間が太郎なのか花子なのか
といった「具体的」なことは分からない。
だからこの絵は「抽象的」もしくは「抽象度の高い」絵ということができる。
次に音楽
(音楽については詳しくないので独自の意見になります)
音楽の場合、歌詞を持たないジャズソングやクラッシック音楽は「抽象的」だと思う。
ピアノソロの場合、
ある「ゆったりしたテンポの曲」
を聞いた時の感想が
「ゆったりしたテンポで癒されるなぁ」
とか
「ゆったりしたテンポで落ち着くわ」
っていうのが上がりやすい。
しかし
「ゆったりとした緑いろのドレスをきたキャサリンが早朝、のんびり歯を磨いた後、トーストをコンガリ焼いた。
キャサリンは焼いたトーストにイチゴのジャムをたっぷり塗ると、ゆっくり口に頬張った。
キャサリンは午前の温かい日の光に当たりながら、ゆったりとした時間を味わった。
この曲はそんなイメージだ!」
って言う人はなかないない。
フレデリック・ショパン」の『子犬のワルツ』という曲も、
題名から(言葉から)子犬がせわしなく駆け回ること
が感じられるのであって、曲自体から具体的に子犬をイメージすることは難しい。
次は歌詞(詩)
言葉の場合、単語の並べ方や、文章の組み立て方で、「抽象的」か「具体的」かが変わってくると思う。
例えば、あるアイドルA子(仮)のつくった歌詞
「ラブラブ!ジョンジョン!」作詞:A子

私は今日 学校にいくと ジョンとすれ違ったわ 
そしてジョンは私に微笑んだの
好きよ 好きよ 好きよジョン
私は今日 公園を歩いていると ジョンとすれ違ったわ 
こんな偶然あるかしら
好きよ 好きよ 好きよジョン

このA子の歌詞は具体的だ。
登場人物は私とジョンでしかなく、私がジョンに恋をしていることが簡単に分かる。
さらに少し推測すれば、歌詞の中の私=A子だと言うことも安易に分かる。
こういう音楽の歌詞を「日記系」という。(たぶん)
しかし次の歌詞はどうだろう?
「aftermath」作詞:京

風は声 錆びた夢 色は死へ
雨がそっと笑う
音を拾い 髪を撫でる
薄い春と結ぶ優しさが

これはバンド「sukekiyo」の「aftermath」という曲の一節だ。
この言葉の組み合わせから、俺たちは何をイメージする?
俺はこの曲から
濁った曇り空
女性の冷たくも温かい悲しさと愛情
無駄に澄んだ空気
みたいなイメージが湧くんだけど、それは聞く人によって違う。
さっきあげたA子の曲が「具体的」だったのに対して後者の歌詞は「抽象的」ということができる。
そしてこの例から
「具体的」な歌詞は聞く人のイメージを固定するが、「抽象的」な歌詞は聞く人のイメージが多様になる
ということが分かる。
最後はパソコン
Apple社のパソコン「MacBook」(以下マック)
マックのデザインは非常にシンプルだ。
表面はアルミの削り出しにリンゴのマーク。
これだけ。
側面にも必要最小限のポートのみ。
この
不要なものを極力取り除いてシンプルにしていくこと
これは「抽象度」を上げることに繋がる。
最初にあげた魚の例
具体的になるに従って
「魚類のメダカのメダちゃん」
と、言葉が長くなることから分かる。
このように、余分なものを排除していくことは「抽象度」を上げることに繋がるのだ。

絵や音楽、詩を例に「抽象的な作品」と「具体的な作品」を挙げてみると、分かることがある。
それは
1「抽象的な作品」は、ぼんやり、漠然としている。
2「具体的な作品」の方がイメージは固定される。
 「抽象的な作品」のほうがイメージは多様になる。
3余分なものを切り落としていくことは「抽象度」を上げる

「抽象的な作品」の魅力と欠点

抽象的な作品の魅力ってなんだろう?
個人的な意見になってしまうんだけど、、、
「抽象的な作品」って凄く惹かれる!!!
なぜか???
「抽象的な作品」は俺たち見る側に想像する余白があるから
さっきのアイドルA子の歌詞と「sukekiyo」の京氏の歌詞を比べた時。
個人的には
A子の恋話を綴った歌には正直いうと興味を持てない。
「お、おう。A子。頑張れよ」
程度の感想しか抱けない。
しかし
それに比べて「aftermath」の歌詞の奥ゆかしさよ。
それは聞く人の想像を刺激し、どこまでも広がりをみせる。
そして聞く人によって想像するイメージは異なる。
ある人は、抽象的なその曲から「温かさ」を感じるかもしれないが、
ある人はその曲から「冷たさ」を感じるかもしれない。
それが面白い。
さらに元気な時や落ち込んでいる時など、個人によっても聞くタイミングによってイメージは変化していく。
この辺が「抽象的な作品」の魅力かと思う。

また
「抽象的な作品」の要素「余分なものを切り落とす」という考え方が好きだ。
マックのパソコンのフォルムは分かりやすい例だが、
シンプルは美しい!
シンプルイズベスト!!
好みの問題、と言ってしまえばそれまでだが、
ごちゃごちゃと装飾されたデコレイティブなものよりスッキリしたもの、スッキリした世界が好だ。
それは余分な脂肪を減量によって削ぎ落としていくイメージ
それは添加物が含まれたジャンクフードではなく、簡素な塩と豆のスープのイメージ
足し算ではない!
引き算でつくっていく感覚。
シンプルな世界は洗練されていて知的だ!!

しかし「抽象的な作品」にも欠点がある。
それは
分かりにくい
作者自身は
共通点を抜き出して
「抽象度」を上げたのかもしれないが、
それが必ずしも見る人、聞く人に伝わるとは限らない。
抽象度を上げれば上げる程、作品はぼんやりと掴みどころが無くなっていくので、
見る側が
「なんじゃこりゃ???」
で終わってしまう可能性もある。
A子のジョンに対する恋愛歌は分かりやすい。
ド直球で歌詞の内容は誰にでも分かり、誰でも想像できる。
また
「メダカのメダちゃん可愛いな」
という言葉は具体的で親近感すら覚えるが
「今後、太平洋の魚類は生存の危機に迫られる」
という言葉に親近感は湧かない。

抽象的な作品はよく言えば
見る者の想像力を刺激する
しかし裏を返せば
見る人の想像力に頼った作品
ということもできるのだ。
また
余分な要素を削ぎ落とす
という考え方も、
美しいと感じることができるかもしれないが、
同時に簡素で味気ないと感じることもできる。
装飾的なデザインが好きな人もいるし、デコレーションが施された華やかな外見が好きな人もいるのだ。
まとめよう!
抽象的な作品の魅力
見る側に想像する余白がある
余分な要素を削ぎ落としてつくっていく感覚が洗練されていて知的
抽象的な作品の欠点
分かり難さ
捉えようによっては味気ない

以上になります。
今回は「抽象的な作品」「抽象表現」の魅力に迫ってみました。

個人的に、「抽象的な作品」は大好きです!
しかしやっぱり同時に
「難しいなぁ」
とも思います。
なぜ難しいかというと
「共通点を抜き出すこと」で抽象的になっていくんだけど、
その共通点を決定しているのは作家で、
その作家の思いが見る人、聞く人に理解してもらえるか?
というと、決してそうではないからです。
「それも含めて面白い!」
と能動的に感じることができると「抽象的な作品」の楽しみ方も一層深まるのですが、
「つまらない」
と思ったらそれで終わりです。
そして「抽象的な作品」にも落とし穴が存在します。
それは作者が
そぎ落とし過ぎて、必要な要素も捨ててしまうこと
こうなるともう訳が分かりません。
そこに魅力もありません。
なかなか、難しいぜ。
けれど、それでも魅力的だと思う。
「抽象的な作品」っていうのは触れるたびに、新しい顔を見せる。
「抽象的な作品」っていうのは見る側、聞く側が想像(イメージ)することで、その作品が一層、広がり、深みを増す。
なかなか捉えづらい、ファジーで難解な奴だけど、
かなり好きです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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