BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「命を削って表現すること」の価値について考える

Hi!
先日、ブログにて「アクションペインティング」を紹介する中で
命を削って表現すること
に触れた。
その経緯は「アクションペインティング」という技を生み出し、それに全力で取り組んだ「ジャクソン・ポロック」氏の制作への向き合い方にある。
「アクションペインてイング」という技はその実、とても危険な技法だ。
彼は単になりふり構わず、絵具をたらせたり、したたらせたり、撒き散らしているわけではない。
「アクションペインティング」はイメージすることを否定し、イメージを置き去りにしなければならない。
だからこの技を真剣に追究していくと計り知れないほど精神的にダメージを負うことになるのだ。
つまり
やればやるほど、命が削れる

俺は「アクションペインティング」を生涯に渡って追究し続けることは
ゆっくり行う自殺行為
だと考えた。
それが良い事なのか、悪い事なのかは分からない。
しかし、「アクションペインティング」の他にも「命を削って表現」する人たちは案外多い。
具体的にはライブでボーカルの限界を超えたパフォーマンス、アーティストの自傷行為による作品、総合格闘家の命をかけた戦いだ。

今回は「命を削って表現」することに対する賛否について考えるとともに、「命を削って表現」しているアーティストに着目したい。
話は

  1. 命を削って表現することの価値
  2. 自傷行為を行うアーティストは見る人に「感動」や「勇気」を与えることができるのか?

です。
(敬称は省略させていただきます)
「命」がテーマですので言葉を選びますが、寛大な心で読んでいただければ幸いです。

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 命を削って表現することの価値

「命を削って表現すること」の賛否、について考えたい。
まず、大前提ですが、個人的な意見です。

俺は「命を削って表現すること」に肯定的であり、「命を削って表現している作家」に魅了もされる。
だから賛成派。
だけど、だからと言って、なんでもかんでもウェルカムではない。
です。
具体的に話をしていきます。
まず、考えていくにあたって、ことの始りは「ジャクソン・ポロック」の「アクションペインティング」だった。
これを俺は「ゆっくり行う自殺行為」だと考えた。
だけど、ブログを投稿した後、じっくり考え続けたんだけどさ。
そもそも
「生きること、それ自体が『ゆっくり行う自殺行為』なのでは?」
という疑問が生まれたのだ。
俺たちは「おぎゃー」と生まれた瞬間から、死に向かっていくことになる。
それが一見、莫大な時間に感じられたとしても
生きることにはタイムリミットがあるのだ。
仮に、事故にも合わず、大きな病気にもかからなかったとして、人は0歳から80歳まで生きると仮定しよう。
すると生きることのできるタイムリミットは
1日が24時間
1年が365日
それが80年
つまり24×365×80なので
700800時間である。
(あれ?なんか怖くなってきた)

生きることのできるタイムリミットは
事故と病気を除いた状態で約「700800時間」だ。
この、
当たり前のことなのに、目から背けてしまいがちなこと
に、
あえて目を向けることで分かることがある。
それは
生きることのできる時間が有限なのだから、
やりたいことをやれば?

ってことだ。
もちろん、他人に迷惑のかかる行為や犯罪行為は禁止なことは当たり前だ。
そして「自己責任」というリスクも同時についてくる。
しかし、それでも、生きることのできる時間が有限である以上、
そしてそれを意識しているほどに
「(自分らしく)生きよう」
と思えてならない!
そうなると、「ジャクソン・ポロック」の「アクションペインティング」を肯定することができる。
彼は、命を削って「アクションペインティング」を追究し続けた。44歳という若さで命を落としているが、彼の制作に対する姿勢は素直に「かっこいい」と思うのだ。
だって彼は
他人の評価や顔色を気にせず
「(自分らしく)一生懸命生きた」

から。

生きることに「タイムリミット」がある
という当たり前であるが、忘れがちなことを強く意識すると、
一見、
「嫌だな」
「気が狂っている」
「頭がおかしい」
っと思われるような「命を削って表現する」人たちの見方が変わる。
それどころか「命を削って表現する」人たちに、感動し、共感し、勇気さえもらうことがある。

自傷行為を行うアーティストは見る人に「感動」や「勇気」を与えることができるのか?

生きることにタイムリミットがある
と強く認識することで、
どう生きるか?
という大きな疑問が目の前に悠然とそびえ立つ。
そして当然のことながらどう生きようが、個人個人の「自由」だ。
仕事で成果を出すこと
人の役に立つために尽力すること
家族のために尽くすこと
やりたいことを気ままにやること
自由気ままに生きること
何かに挑戦すること
趣味に没頭すること
じゃ
「命を削って表現する」ことは?
これももちろん0Kだ。
だって、その人の生き方は自由だからである。

では次に
「命を削って表現する」人が見る人に感動や勇気を与えることができるのか?
を考えていきたい。

もっともショッキングで分かりやすいものに「自傷行為」のパフォーマンスがある。
アートシーンで有名なのは「ボディ・アート」の作家「クリス・バーデン」だろう。
彼は1971年、友人に左腕を拳銃で打たせて作品にしている。
彼の他にも、自身の体を痛めつけるアーティストは存在するが、
俺が痛いのは嫌だ
という理由でその分野を深く知らない。

クリス・バーテンの自分の腕を友人に銃で打たせるというこの行為。
皆様はどう思われますか?
さっきの理屈でも言いましたが
人はどのように生きても自由
です。
それこそ、彼が他人を銃で打ったなら大問題ですが、彼の行った自傷行為が法律の範囲内であったので、問題はありません。
(場所が日本ならばまずは銃刀法違反ですね)
彼の自傷行為は他人にも迷惑をかけてないし、法律上、問題ないかもしれない。
けれど、個人的には
「感動しない。ただ痛々しい。」
です。
俺はインフルエンザの予防注射すら嫌がるチキンだ。
なんで、わざわざ、そんな痛々しいのを作品として見なくちゃなんないんだよ!
鑑賞者によってはサディスティックな快感を覚えたり、
「生と死」や「暴力」について彼のパフォーマンスから考えることができるかもしれない。
しかし個人的にはNGなのです。

では
俺の大好きなバンド「DIR EN GREY」のボーカル「京」のライブ時の「自傷行為」はどうなのか?
DIR EN GREY」は日本のロックバンドで、ライブ時のパフォーマンスは過激だ。
京は自らの体を掻きむしり、口内を傷つけ、血(時に血糊)を吐く。
これもNGなのか?
最高です(うっとり)

これが、今回の話の肝だ!
ずっと考えていた。
なぜ、「クリス・バーデン」の自傷行為はNGで「DIR EN GREY」ボーカル京の自傷行為は0Kなのか?
結論は出ている。
それは
自傷行為」それ自体が目的なのか?
それとも目的は「自傷行為」の先にあるものか?
の違いである。
クリス・バーテンの自傷行為っていうのは、単に
自傷行為」それ自体が目的
にしか俺には思えないんだ。
俺の勉強不足かもしれない。
彼には大きな意思と「自傷行為」をしてまでの人に届けたいメッセージがあったのかもしれない。
しかし俺には彼の「自傷行為」がそれ自体が目的としか写らなかった。

しかしボーカル京は違う。
彼らのバンドが掲げる「痛みを表現すること」という目的の為に、手段としての「自傷行為」があるにすぎない。
京は「自傷行為」という1つの手段を使って、自らの自己表現(パフォーマンス)を更なる高みへ昇華させている。
ライブの際、自らを高次元(トランス状態)にスイッチする為の手段としての「自傷行為」と言って良いだろう。
俺はこの姿勢に惚れる訳だ。
さらなる高みへいく、手段としての「自傷行為
これはかっこいい!痺れるのだ!

この、
自傷行為」それ自体が「目的」か?
それとも「自傷行為」は「何かの目的を達成させる為の手段」なのか?
って言うのが結構大切なポイントだと思う。

この考え方は「格闘技界」にも通ずる。
RIZIN」や「K-1」などの総合獲得技やボクシングの世界。
彼らの行為は「自傷行為」とは違うが、当たり前のように怪我が伴う、危険な行為であることは言うまでもない。
しかし選手は自分の体が傷つくことを目的に格闘技をしていない。
仮に、自分の体が傷つくとことを目的に格闘技をしていたらそれは、マゾヒストです。
選手は命がけで「相手を倒す」為に「体が傷つくことを厭わない」のだ。
それも、かっこいい!

京の「自傷行為」が伴ったパフォーマンスも
格闘家の前歯が折れたり、脳に大きなダメージを受けるような戦いも
かっこいい!
なぜか?
目的が傷つくことそれ自体、
ではなく、
「傷ついても良いから自分の表現を貫きたい」
「傷ついても良いから相手を倒したい」
という

命を散らしてですら
「自分にとって大切な目的」
を掴み取ろうとする意思に感動するからだ!

「自分にとって大切な目的」は表現かもしれない。力の誇示かもしれない。
それはなんだっていい。
重要なことは
「自分にとって大切な目的」為に「傷を厭わない」姿は人を「感動」させ、人に「勇気」を与えることができる。
ということである。

生きることのできるタイムリミット700800時間の中で、
命を削ってでも「自分にとって大切な目的」を掴み取ろうとする姿勢。精神。
その一瞬。
一瞬、大きく命を燃やし煌めくその形に人間の凄み、
そして儚さとともに重たさを知る。

今回は以上になります。
「命を削って表現」する価値、について考えてみました。
もちろん
今、この一瞬、命を燃やす生き方
とか
後先を考えない行為
には危険が伴うので、好き嫌いが分かれるかもしれません。
更に、話をアーティストをメインにして書きましたが、生きることのできるタイムリミット「700800時間」の中で、さまざまな分野において
自分のできることを一生懸命生きている人たちがたくさんいます。
生き方は人それぞれですので、なんとも言えませんが
命を削ってなにかを『表現』
する人もいるのです。
個人的にクリス・バーデンのような痛々しいパフォーマンスやスプラッター映画はかなり苦手です。
しかし
傷つくことを厭わず目的を掴み取ろうとする姿勢
が魅せるパフォーマンスには惹かれるものがあります。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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