BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「熊谷拓明の野外ダンス劇『近すぎて聴こえない。』をベタ褒めする」

Hi!
先日、偶然にも、俺が「筋トレ」する為に通っているジムの受付の方に
「野外ダンス劇」
なるものを紹介された。
ダンス劇?
なんじゃそりゃ??
で、
アート好なわたくしは「ダンス劇」の真相を知るべくして見に行ってきました。

。。。
感想
いやぁ。
良かったですわ!
自分は絵画専門だから、踊りや演劇、などの「身体表現」自体が新鮮だった
ってものあったんだけど、、
それを引き算しても感動した!
なのでベタ褒めしていく!
(今後もちろんアニメやゲームのベタ褒めもやっていくよ!今はアートなモードです)

今回は熊谷氏のダンスならぬ「ダンス劇」ってモノの紹介と魅力に迫りつつ、
更に、熊谷氏の「ダンス劇」を通して、
本来、「個性」を表現すべく腕や技を磨く表現者が技を磨き続けることでその先に待ってるのは「無個性」なのではないか?
「技術をみがくこと」は「天使」と「悪魔」両側面を持ち合わせているのではないか?

っていう話に広げます。
今回のお話は、表現活動をしている方、既にアートにハマっている方向けかもですが
とはいえ、皆ウェルカム!
アートっていう1つのコミュニティの中だけで、話を進めるのはよくない。
発想が硬くなり新しい風はやってこないのだ!(ドンッ!)
ということで皆でアートの魅力を掘り下げましょう!
以後、敬称は省略させていただきます。
ダンス劇の写真撮ったんだけど、ブログのアイキャッチ画像で使っていいか聞けば良かったー。
(許可を取ってないので写真は載せません。)

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 ダンスは整った動きしなければならないのか?
綺麗で華麗な動きをしなければならないのだろうか?

皆は「ダンス」と言う言葉を聞くと、どのようなものをイメージするだろうか?
専門的な知識のない俺にとって
「ダンス」ってのは
整った動きをするもの(チアダンス、バックダンサー)
綺麗で華麗な動きをするもの(バレエ、社交ダンス)
常人では到底できない神業的な動きをするもの(ストリートダンス)
だと思っていた。
「エグザイル」のバックダンサーは沢山の人数で踊るが、彼らは皆、周りと動きをぴったりと合わせてリズミカルに踊る。
1人でもリズムやタイミングがズレたらそれは失敗とみなされる。
「バレエ」の世界では、回転で転んでしまったり、ジャンプの着地の際転んでしまえばそれは失敗とみなされる。
リズムやテンポ、周りと呼吸を合わせて体を使い表現することがダンス
または
技を磨いて常人では到底できない動きや美しい動きをするものがダンス
そう思っていた。
どちらにせよ、
ダンサーは日々、技を磨き、練習を積み重ねて、整った動き、華麗な動きを見せる事で人に感動を与える。
それが「ダンス」!!

しかし熊谷拓明の「ダンス劇」は違った。
動きが整いすぎていない。
動きの中に時々、素人っぽい動きがある。
のだ。
役者たちの動の中に、一見俺たちでもできるような動きが混じっている。
例えば私たちが恋人や友達と何気なくお喋りしている時の動きは
「整った動きでもなければ神業的な動きではない」
そんな動き(踊り)を熊谷は演出に盛り込む。
そして「ダンス劇」の中で時々ダンサーや役者の
「身体表現家らしい」
動きや動作が入り混じるのだ。
だから私たち観客は
お喋りやお説教などの日常の何気ないシーンを見せられたかと思ったら、途端に、華麗な踊りを見せられ
途端に整ってない幼稚園児のお遊戯のような劇を見せらたかと思ったら、途端に整った演劇を見せられる。

目まぐるしく変わる展開の中で
「日常」と「非日常」が交錯するのだ。
だって目の前でペチャクチャ喋りあってる女性が、突然おかしな動きをしたら
こいつやべぇ!(汗
って思うじゃん?
そこから更にその女性が華麗に踊り出りだすのだ?
面白すぎだろ!
そんな不思議でコミカルな感じがとても面白かった!

「ダンス」じゃない「ダンス劇」

ダンスなの?
日常の光景なの?
劇なの?
全部盛り込んでやったぜ!
みたいな。
因みに、「ダンス劇」にはギターボーカル、ベース、ドラムの音楽もあって生演奏が聞け、音楽も演出に深みを与えていました。

技術を磨いた先にあるものそれは「無個性」なのか?

ダンスでも音楽でもスポーツでも言えることがある。
今回、熊谷の作品を鑑賞してさめざめと感じたことがある。
それは、、、
技術を磨いて、磨いて、磨きまくった先にあるものはなんなのか?
って問い
それは
「無個性」
何が言いたいか。
例を挙げながら説明しよう。
例えば、歌手。
俺は男性の「高音域」が好きで、高音で歌うバンドや歌手の歌を聞く。
男性の高音域の発生法は1つの磨き上げられた技術だ。
それは日々努力を重ねて少しずつ磨かれていく。
そして、完成された圧倒的な
「高音域の発声」
しかしあれ?
「高音で歌う人たちの高音域の歌声って同じに聞こえない?」
そうなんだ。
「力強い高音域」は発声することそれ自体の難易度が高いので、音色が似てしまうんだ。
個性は表に出ない。

例えば、ピアノのクラシック
ピアノのクラシック「ラ・カンパネラ」という難易度の高い曲。
これに関しても難易度の高さが無個性化を助長する。
「ラ・カンパネラ」
この曲は技術的に、テクニック的に難易度が高いので弾くことだけでいっぱいいっぱいになってしまうのだ。
まぁ
難易度が高い曲の中で個性を出しましょう!
ってのがクラシックの世界だが
際限がなくないか?
もっと難易度が高くなったらどうなんよ?
この場合も個性は表に出ない。

例えば、フィギュアスケート
彼らは個性豊かに華麗に踊るが
回転、という技に着目した時
3回転が凄い、4回転が凄い
という話になっていく。回転数に固執した場合これも同じように
個性は表に出ない。

クドイかもだけど、最後にもう1つだけ例を挙げてみる

例えば大道芸人(ジャグリング)
例えば、ボールを同時に、4つ投げることができる芸人がいたとしよう。
彼は、観客にパフォーマンスをしながら、様々な演出をおりこみパフォーマンスをする。
観客に向ける笑顔や喋り方、空気づくりなどなど。
それはその芸人の「個性」が出ていると言っていいだろう。
しかし、その芸人が同時に10個のボールを投げる場合。
より難易度の高い技術が求められる。
技の難易度が高い為
観客に向ける笑顔や空気づくりは影を潜める
個性は表にでない

長々と例を挙げてしまったが、
つまり、
技を磨いた先にまっているものは
「無個性」
なのではないだろうか?

技を磨く

難易度が高いので無個性化

余裕が生まれて「個性」を出す

更に技を磨く

無限ループ!!!
このループを重ねた先に待っているもの
それは

孤高の天才
超人
スーパースター
人間離れ

だけど、反面
命がけの努力の賜物で
そして、
孤独、、、かも

それは本当に凄いことだし、圧倒的だ。
だけど、、、、
ちょい苦しい
って時もある。

技を磨く表現者たちが皆こんな感じだっとしたら、
表現者ってのは、それはまるで剣山を歩くようなイメージだ。

表現者は皆、、
漫画「HUNTER×HUNTER」のネテロ会長のように
雪山に篭って1日感謝の正拳突きを1万回しろってのか??笑


俺には熊谷の「ダンス劇」はそのループを降りているように思った。
そうすることで、
「ダンス劇」に余裕が生まれた。
優しさとコミカルが生まれた。
役者と鑑賞者の距離感が近くなった。
そして役者ひとりひとりの「個性」が存分に引き立った!

だから彼の「ダンス劇」の役者は個性で溢れていた。

ダンサーとしての「鈴木太郎(仮名)」でもなければ
役者としての「鈴木太郎(仮名)」でもない
「鈴木太郎(仮名)」なのだ。
「鈴木太郎(仮名)さんって、なんとなく人柄が優しそうだな。大雑把でよく0型ですねっていわれそうだなぁ」
鑑賞者は「鈴木太郎(仮名)」を凄く身近に置くことができる。
「ダンス劇」にはそんな面白さが生まれたのだ。
繰り返しになるが、この面白さの根底にあるのは
「技を磨くことへの放棄」
をダンスや演劇に取り入れたところである

(ダンス劇の練習をしてないって話じゃないです!伝わってるよね!!)

熊谷氏のダンス劇「近すぎて聴こえない」
面白かったです。
磨かれてない、日常的な、
言っちゃえば「ダサい」動きがダンス劇には組み込まれていて
それがコミカルなんだけど
途端にダンスに変わったり、途端に演劇に変わったりすることでコミカルなだけでは終わらせない凄みがありました。

今回、熊谷氏のダンス劇をみて皆様にお伝えしたいことは

技術を磨いた先にまっているものは「無個性」かもしれないよ?
って話です。

技を磨く

難易度が高いので無個性化

余裕が生まれて個性をだす


更に技を磨く

の無限ループ。
「技術を磨くこと」ってのは「天使」でもあり「悪魔」でもあるのかもしれない。
「技術を磨くこと」(天使)
それは自分にとっても鑑賞者にとっても分かりやすい。
故に自分で自分を認め易いし、他人からも良い評価をもらい易い
また
技術が必要不可欠で成り立っている表現もある。
氷の上を滑ることができないフィギュアスケート選手はいないのだ。

しかし
「技術を磨くこと」(悪魔)
のみに盲目的になっていると、
表現したものは「無個性」という落とし穴に落ちるばかりか、
さらに退屈で窮屈なものに変わってしまう怖れがある。

それでは人を魅せることはできない。

誤解しないで欲しいのは、技術を磨くことが悪いって話じゃないんだ。
むしろ凄い!
ややこしい話だが圧倒的な「技術」はそれ自体が個性でもある。

けど、
苦しい時だってあるだろ?
そんな時、熊谷拓明さんの発想って面白い。
「飾らない」で「自然体」
「身軽」で「等身大」
心が軽くなるぜ!

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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