BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

ゲーム「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」をベタ褒めする

聖剣伝説 LEGEND OF MANA」は1999年にスクウェア(現在のスクウェア・エニックス)から発売されたプレイステーションアクションRPGである。今プレイするならば、ゲームアーカイブスで配信されているので、PS3PSPPSVitaで遊ぶことができる。
このゲームには物凄く思い入れがある。
大好きなゲームだ。
しかし俺の思いはそれだけではない。
このゲームの世界観、キャラクターのセリフや生き方、そしてこのゲームの主張はかつて子供だった俺の心を鷲掴みにし、俺の人生観にガッツリと影響を与えることになった。
まぁ大袈裟な物言いになってしまったが、客観的に見てもとても素敵なゲームだと思う。
オススメできる人
ゲーム性よりもゲームが持つ世界観重視
雰囲気ゲーが好き
絵本のような世界観が好き
温かい雰囲気が好き
ラブデリック系のゲームっぽいアドベンチャーが好き
哲学的な話が好き
「愛」とは何か?「生きる」とは何か?を知りたい

オススメできない人
がっつりアクションRPGがやりたい人
爽快なアクションを求めている人

です!
20年前のゲームなのでロード時間やシステムなど、多少不便なところもある。
しかし腰を据えてじっくり味わい、考えながらプレイすれば、なにか
「計り知れないもの」
を感じることができる。
気になった人は是非、じっくりプレイし、このゲームの世界観、物語、キャラクターの生き方や在り方を味わって欲しい。
今回「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」をベタ褒めするにあたってこのゲームの素晴らしさを全力で語る!
このゲームのテーマが「愛」なのでこのゲームの魅力に迫る、ということは「愛」について考える必要になる。だから、今回、文章が自分本位で哲学的、というと聞こえはいいが言い換えれば「電波さん」な感じになることをご容赦いただきたい。
あと今回文章が長いです(汗

今年、2019年7月15日をもって「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」は20周年を迎えました。
本当におめでとうございます。素晴らしいゲームをありがとう。
20周年という機会に便乗して「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」をベタ褒めする!
この記事にはネタバレがあります。
アイキャッチ画像の小っこいのはバドとコロナです)

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 「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」(以下LOM)は素晴らしいゲームだ。
このゲームの特筆すべき点は2つ
他に類を見ない濃厚、且つ圧倒的な世界観
ゲームのテーマ「愛」
である。
なので、ゲームの世界観と「愛」について語っていきたい。

プレイするとオープニングで主人公は夢を見る。
で、いきなり夢の中でマナの大樹であるマナの女神に
「 愛 である、私を目指して欲しい」
といわれる。
えっ!?
え?? 愛?
???
って感じになる。
要はよくわからない。
で、夢から目覚め、外に出ると変な緑の妖精(草人)がいて
「世界はイメージでできてるんだって。
知ってた?
君がここにドミナの街があると思うからあるんだって」
とか言われる。
で、言われるがままに、積み木(アーティファクト)を世界に設置すると、何もなかった世界に街が誕生するわけだ。

わかっていただだけかだろうか?
もう最初から
「このゲームなんかおかしい」
ってなる。笑
特に俺は「聖剣伝説3」の続編としてこのゲームをプレイするつもりでいたので、当時は違和感しかなかった。
リングコマンドは?
クラスチェンジは?
ってなった。
当初、子供ながらに
「地雷ゲー」に当たってしまった(泣
と思った。
けれど、不思議と何周も何十周もプレイした。
最初は大剣の必殺技「かかってきなさい」や「乱れ雪月花」を出すのが楽しかっただけだった。
しかし周回プレイするうちに、この世界に住む登場人物の声に意識が向かうようになる。
周回プレイすることで色々な思いが次々に沸き起こった。
話は
1濃厚で圧倒的な世界観を作り上げている要素
2愛
3終わりに
の3本です。

まずこのゲームはゲームという媒体を通して製作者が
本気で「愛」とは何なのか?を考え「愛」というテーマに全力でぶつかりにいった産物だ。
これはもはやゲームではなく、ゲームという皮を被ったアート、もしくはゲームという皮を被った哲学書なのかもしれない。
しかし、なぜ「愛」というテーマを語る上で、堅苦しくならず、私たちはこのゲームに魅了されるのか。
そこには濃厚で圧倒的な世界観があったからだ!

濃厚で圧倒的な世界観を作り上げている要素

LOMの独特な世界観を作り上げ、それを強固なものにしている要素を挙げたい。

1グラフィック
LOMはドット絵のゲームでは最高峰のグラフィックと言っていいと思う。
本当に凄い。
もちろん今日のゲームのグラフィックも飛躍的に進化を遂げ凄い。
しかしドット絵の温かみを残しつつ、精密に、まるで絵本のように、LOMの世界を表現した絵の数々。ただでさえ描くのが大変なドット絵でここまで表現できるものなのか。とつくづく思う。
余談だが「サガフロンティア2」のドット絵も水彩風で素晴らしいです。
また、このゲームの見どころである、世界にアーティファクトを置くと山や海、町やダンジョンが誕生するランドメイクシステム。これを演出する際のグラフィックがとても凝っていて美しい。
LOMの温かく絵本のような、美しい世界観は間違いなくグラフィックが貢献している。

音楽
下村陽子氏がつくりあげるBGM。彼女のつくるBGMはLOMの世界を見事に表現していた。
優しい曲、激しい曲、切ない曲。どれも素晴らしかった。
「心のある場所」「ホームタウンドミナ」「滅びし煌めきの都市」「彩の大地」「月夜の町ロア」「重なりゆく運命」など名曲揃いだ。
熱いシーンで流れる熱い曲は私たちをより熱くし、悲しいシーンで流れる悲しい曲は私たちをより悲しませた。
しかし、彼女の実力はそれに止まらなかった。
音楽には「楽しい」「悲しい」など単純に言語に落とし込めない魅力があって
LOMのもつ特有の雰囲気、不思議でなんとなく懐かしくも切ない、
言葉では言い表すことのできないBGMを彼女はつくった。
だから、彼女のつくったBGMとともに、私たちはLOMから得体のしれない感動を受ける。
それは不思議で温かく少し切ない。
彼女がつくった音楽がLOMの世界観を確固たるものにした。

設定と背景
このゲームであるイベントをクリアすると「世界事典」を手にいれることができる。そしてその事典で、このゲームの舞台「ファ・ディール」という世界の誕生から今に至るまでの歴史を読むことができる。
この世界の背景と歴史。それが物凄く練られている。
それはまるで旧約聖書のように
「マナの女神が世界をつくった」
からはじまり、生命の誕生や幾たびの「妖精戦争」など、この世界の歴史が記されている。
そして長い歴史の中で私たちがプレイしたのは、この世界の一瞬の時代に過ぎず、この世界のほんの一片に過ぎない。
今まで長きにわたって「妖精戦争」がおこなわれ、ようやく平和になった時代だと、知ってプレイするとよりLOMの世界を楽しむことができる。
要するにこのゲーム、すごく設定が練り上げられている。

登場する様々な生き物と使われる言語
この世界には人間の他、様々な人種が存在する。
というか、人間より亜人の方が多い。
そして彼らはそれぞれ独特な思考をし、個性豊かに振る舞う。
数をあげると限りないが例えば「ぐま」「グゲー」などの言語で会話するアナグマ
玉ねぎ人のドゥエルの「したらな!」など。
使われる独特の言葉つがいが楽しい。
しかしそれがただの言葉遊びになっておらず、しっかり彼らのイベントが存在し、イベントを通して彼らは実に「彼ら らしい」行動や選択を選ぶのだ。
登場人物や使われる言語もまたLOMの独特な世界観を作り上げている。

他にも随所に小ネタがあったり、一定の確率でオルガンがうまく弾けなくなる、など細部にこだわっているところも、濃厚な世界観をつくるのに貢献している。

以上。LOMの世界観を作り上げているものを挙げた。
要はグラフィックも音楽も設定も言語も全て練られているのだ。
そんな凝りに凝ったグラフィック、音楽、設定、言語、細部に及ぶ作り込みが見事に調和され、互いに影響し合い相乗効果となって出来上がったのがLOMの世界観なのだ。
だから、私たちはこのゲームの独特な世界に違和感なく入っていくことができる。
そしてこのゲームの濃厚で圧倒的な世界観に魅了されるのだ。
まぁ、聖剣伝説2や3をイメージしてプレイすると違和感しかない、と言われてしまうとぐうの音も出ませんデス(汗

「愛」

ここからが、本題です。

その圧倒的な世界観を見事つくりあげた上で、このゲームが主張するテーマ。
それが
「愛」
このゲームを味わい咀嚼した上で、LOMが主張する「愛」について自分なりに考えたい。
(ここからが肝心なのでついてきて!)

物語はメインに「エスカデ編」「宝石泥棒編」「ドラゴンキラー編」の3つとその他多数のイベントから成り立っている。シリアスなイベントからギャグ要素が強いイベントまで様々だが、全てのイベントを通してなんとなく感じたことは
「みんな自由に生きてるなぁ」
ってこと。
世界を破壊尽くしたい悪魔のアーウェン
1人の女性を救いたいが為に珠魅の核を盗み続ける怪盗のサンドラ
姉に会いたいが為に、それがいけないことと分かっていながら知恵のドラゴンを殺すドラグーンのラルク
女性を口説きまくる詩人ギルバート
1匹の犬を崇拝する穴掘り団
悪徳商法をするニキータ
自分が歌うと船が沈むと分かっていながら、それでも歌いたいセイレーンのエレ
カボチャで世界征服を企むバドとコロナ
魔法学校をサボる学生
美味しいお茶を飲む為に危険な遺跡に入っていくティー

などなど。

みんな個性豊かにいろんな思いのもと、なんか色々やってる。
それが世界の消滅に関わる大事から、お茶っ葉摘みまで、思考や行動の規模は様々だが、彼らは皆、彼らなりに真剣に考えて全力で取り組む。
この世界の住人は思ったことを為す。
例えそれが世界を滅ぼすようなことでも。
7賢人の1人ガイアが

「私は考えていない 人間以外の生命にとって考えることとなすことは同じ
人間は考える力となす力を隔ててしまった 本来それは同じものだ」

と言うがこのガイアの言葉は私たちプレイヤーに言っている。
つまり
この世界の登場人物は自由に考えて、自由に行動している。
で、LOMが言う「愛」の1つはズバリ
「自由に生きること」
全ての登場人物が自由に生きている。
その中でエスカデやダナエ、アーウェンやマチルダは幸福な結末を迎えることができなかったと感じる。同じように、自由に生きる登場人物の中で主人公の1粒の涙が珠魅という種族を救った。
自身の指針に従って素直に、自由に生きた結果、行き着く先に待っているものが、幸せか不幸かはわからない。
しかし自由に生きることそれ自体が1つの「愛」の形なのである。
LOMが主張する「愛」の1つは
自分を愛するということ。
そしてそれは自由に生きること。

だと考える。

しかし「愛」は自分だけでは完結しない。
人は必ず他者との繋がりの中で生きるからである。孤高の存在であるドラゴンでさえドラグーンという繋がりを求めるのだ。

では他者との繋がりの中で見える「愛」をLOMはどう主張するのだろうか。
そのヒントは物語の最後に7賢人のポキール

「キミに全てまかせる しいて言うならば、それがボクの力だ キミが、世界を滅茶苦茶に破壊尽くしてもかまわない それでもボクはキミを祝福する」

という言葉にある。
俺はこのポキールの言葉がこのゲームの肝だと考える。
LOMの世界で、人々は「愛」に従って、自由に生きる。
1つ目の「愛」はLOMの登場人物が皆あらかじめ持っていて、俺たちはLOMの登場人物の生き様から
「自由に生きる」
という「愛」の形を見せられる。
その中で、種族も性別も価値観も違う中
彼らは時に争い、殺し合い、助け合い、救いあった。
1つのシーンを思い浮べよう。
ドラゴンキラー編のラルクはそれが罪だと知りながら、姉に会いたいが為に、知恵のドラゴンを殺害した。主人公は「事情を知らない」という免罪符はあれ、それに加担した。
ラルクや主人公が行なった行為は過ちだ。
しかし自由に生きた結果なので1つ目の「愛」は達成されている。
しかし、ポキールは更に大きな次元の「愛」を謳う。
キールはどうするのか。
過ちを犯した彼らを祝福するのだ。
なぜか
「キミに全てをまかせている」
からだ。
これは「信じる」と言い換えていい。
で。
当時から今に至るまで、俺はポキールのこの言葉に対して
「偽善じゃん」
と思っていた。
ずっと腑に落ちていなかったんだ。
けど最近、ようやくポキールのこの言葉が理解できた。
キールは召喚師ヌヌザックが仮に世界を破壊しても、ヌヌザックを祝福する。
ラルクや主人公が知恵のドラゴンを殺害しても彼らを祝福するだろう。
なぜか?
キールはヌヌザックやラルク、主人公、強いてはこの世界そのものを信じているからである。

俺の価値観で「信じること」とは
「ヌヌザックならば良心があるから世界を破壊することはないだろう」
と思うことが、「信じること」だと「ずっと」思っていた。
言い換えれば自分の思い通りにヌヌザックは行動するだろう
と思うことが「信じること」だと考えていた。
例えば
「俺のカノジョは絶対に時間通り待ち合わせの公園に来てくれるだろう」
とか
「私の息子は絶対に暴力なんて振るわないわ」
ということが「信じること」か?
それは勝手に理想のカノジョや息子を自分でつくりあげているに過ぎない!

この時の彼らは真の意味でカノジョや息子を信じていない!
LOMでいう「信じること」はこういうことではない。
LOMが言う「信じること」とは
「この人なら必ずやる」
とか
「この人なら必ずやらない」
とかそう言う単純な話じゃない。
LOMが言う「信じること」とは
「相手の過ちを許すこと」
仮にヌヌザックが世界を破壊してもヌヌザックを許す。
ラルクが過ちを犯してもラルクを許す。
これがポキールの言葉の真の意味だと考える。

するとこのゲームが主張するもう1つの「愛」がぼんやりとみえてくる。
人に向ける「愛」
とは
「信じること」
他人を
自分とは異なる価値観を持った人を
自分とは異なる人種を
自分とは異なる生き物を
さらに生き物に囚われず、草や木を
大地や空でさえ

信じること、それがもう1つの「愛」
そして信じるとは
「対象(相手)が小さなミスをしても、大きな罪を犯しても対象(相手)を許し、そして自分を許すこと」
これがLOMが謳う2つ目の「愛」だと思った。
LOMが主張する「愛」
それは自分の意思に従って自由に生きること
そして
人を盲信せず、信じること。信じることは許すこと。
だと思い至った。

終わりに

今回LOMを通して「愛」について考えてみました。
今日、ストレス社会と言われている私たちの世界でLOMが主張する「愛」がとても重要なキーワードになってくると思う。
自分を大切にしようとか、人を大切にしようと言われる。
しかし具体的な方法がわからず、私たちは時に自分を傷つけ、人を傷つけてしまう。
そんなときLOMの主張する「愛」に立ち返る。
1つは自分の意思に従って自由に生きてるか?
ということ。
自分の感情や思いを殺して生きてもそこに「愛」はない。
例えそれが、周りが否定するようなことだったとしても、自分の気持ちに素直になって行動すること。これが1つ目の愛。
(もちろん迷惑行為、犯罪行為を肯定してません)

しかし「愛」はこれだけでは不十分だ。
それにプラスして
人を信じているか?
と言うこと。
そして信じるってのはその人が自分の思い通りになるってことでは決してない。
その人のミスや過ちも認め、許すことも含めて真の「信じる」なのだから。

キール

「キミが世界にを破壊してもボクはキミを祝福する」

という言葉の片鱗がこの歳になってほんの少し分かりました。
そしてそれが分かった時、心が軽くなり、とても心地よい状態になりました。
人に期待しすぎず
人に頼りすぎず
自分が人の分まで背負いすぎない
人が考えることまで自分が考えない

と自然に思うことができました。
その時、不安や疑念が嘘のように消えました。

人は皆、その人が「これが最善だ」と思うことを考えて、実行します。
だから、その人が失敗しようがその人を許し、その上でその人を大切に思う気持ち。
これが2つ目の「愛」だった。
聖剣伝説 LEGEND OF MANA」は本当にすごいゲームです。
20年という時をかけてなお、俺に気づきを与えてくれました。
本当にこんな素晴らしいゲームがプレイできたことを心から嬉しく思います。
今回、話が長く、かつ電波さんっぽくなってしまいました。
うまく言葉にできなくて歯がゆく感じるところもあります。
けれど、自分なりに全力で「ベタ褒め」したことで、このゲームの「凄み」を再認識することができました。
このゲームには武器強化や育成要素など面白い側面がまだまだありますが、今回は割愛させていただきます。

またプレイしてこのゲームを味わいたいな!

個人的な話ですが俺は「危険なアフタヌーンティー」と「星に願いを」というイベントが好きです。

長文になってしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございました。

したらな!

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