BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

光田廉典の「ハルカナルトキノカナタヘ」をベタ褒めする

クロノ・トリガー&クロノ・クロスアレンジアルバム/ハルカナルトキノカナタへ」は2015年に発売されたゲーム音楽(アルバム)である。
1995年にスーパーファミコンで発売され、今なお支持を受けている「クロノ・トリガー」と続編にあたる1999年PlayStationで発売された「クロノ・クロス」のゲーム音楽の中から、10曲を厳選しアレンジされたアルバムとなっている。
クロノ・クロス」が「クロノ・トリガー」の純粋な続編と言っていいかは永遠の謎ですね
作者は両ゲームの音楽をつくった光田廉典氏と彼が率いるミレニアル・フェア。
今回はこのアルバムをベタ褒めしたい。

一応、アルバムの購入を考えている方も参考にしていただけたら幸いです。

少しだけゲーム「クロノ・クロス」のネタバレがあります。

記事では敬称は省略させていただきます。
アイキャッチ画像の白いのはキッドです)

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ゲーム「クロノ・トリガー」と「クロノ・クロス」の音楽はゲーム発売から今に至るまで、どちらも高く評価されていてファンが多い。
ゲーム自体の面白さもさることながら、光田のゲーム音楽がプレイヤーをより「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」の世界へ誘った。
そして両ゲーム音楽のファンは今でも多く、YouTubeなどの動画でいろいろな人が曲にアレンジを加えたり、演奏したりする。そんな中で、作曲家、光田廉典自身がアレンジを加えてリリースされたこのアルバム。
聞いた感想としては
さすが生みの親!!
心に沁みるとても良い作品だった。
購入を検討されている方へ

惜しむべきところ2点
1つは曲数が少ない
全部で10曲です。
クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」には本当に名曲がたくさんあるので、どうしても
あの曲のアレンジも聞いてみたい!!
と欲が出る。
個人的には「夢の岸辺に」「アルニ村 ホーム」「回想~消せない想い~」を聞いてみたかった。
2つ目は
2曲目「RADICAL DREAMERS」と10曲目「ハルカナルトキノカナタヘ/To Far Away Times」
の和訳が載ってなかったこと。
歌詞からこの2つの曲を味わい咀嚼したかったです。

人によっては気になる点
クロノ・クロス」の曲が多め。
ボーカル(歌)が入った曲が多め。

以上です。
10曲で少し物足りないと言ったが、1つ1つの曲のアレンジは完成度が高く、本当に素晴らしいので「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」の音楽が好きな方は是非聞いてみてほしい。
今回この素敵なアルバムをベタ褒めするにあたって話は
1つ1つの曲が濃厚でドラマチックな理由
ボーカルの凄み
音楽は時を越える

の3本になります。

1つ1つの曲が濃厚でドラマチックな理由

1回、通して聞いてみた感想としては
最高だった。
さすが本家本元!
これまで、いろいろな「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」のアレンジを聞いたが、やはり本家のアルバムは流石だった。
1曲1曲、盛り上がるところがしっかり盛り上がるので、心を鷲掴みにされる。
だから1つの曲がとてもドラマチックなのだ!

この盛り上がるべきに瞬間にしっかり盛り上がる良さを
わたしの「彼氏」で例えよう!
(男性は女性の気持ちになって想像してね!)
私たちは、時に、とても寂しくなる時がある。
寂しくて眠れない夜がある。
そんな時思う、
「ああ彼氏に甘えたい」
「愚痴を聞いてほしい」
「なぐさめてほしい」
「わたしのために料理をつくってほしい」
「むしろわたしの世話をしてほしい」
「ちがうわ!強く抱きしめてほしい!!」

となっ!
しかし実際、そんな時に限ってわたしの「彼氏」は仕事で忙しかったり、機嫌が悪かったりするのだ。
今、すぐに抱きしめて欲しいのに深夜の3時なので「彼氏」に甘えることができなかったり「彼氏」の体調が悪くて甘えることができなかったりすることもあるだろう。
で、
だ!
互いに時間がとれて「抱きしめてもらえる」時がやっと訪れた時には案外、
元気もりもり絶好調だったりするのだ。

さて、この例えをアルバムに繋げよう。
ずばりこのアルバムは
「わたしが一番抱きしめて欲しい時にとても力強く、優しく抱きしめてくれる」

のである!
このアルバムは
寂しくて寂しくてたまらない、限界の極みだというその時に、ここぞといわんばかりに抱きしめにくる「彼氏」のようなアルバムだ。
しかも、抱きしめ具合が力強く優しく、温もりに溢れている!

つまりね。
ここで盛り上がって欲しい、ここは静かなモードで奏でて欲しい、といった私たちの期待に沿って、盛り上がるべきところでしっかり盛り上がり、静かなところは優しく穏やかに演奏される。
それが聞いていて非常に心地よく、単純な音の強弱だけでなく楽器数によっても表現されてされるので非常に1曲1曲が濃厚でドラマチックなのだ。

ボーカルの凄み

このアルバムは10曲中6曲がボーカルが入った曲になっている。
で、ボーカル入りの曲が聞いていて心地よい。
ボーカルを担当したのはサラ・オレインとローラ・シギハラの2名。
どちらの歌声も素晴らしい。
ローラの歌声は切なげで、少女の面影を残した女性らしい声。4曲目「サラのテーマ」に見事マッチしている。人間らしい歌声は聞き手の感情に訴える。
彼女の歌声も素晴らしいが、
サラ!
この人歌上手い!
技術の塊か!っと突っ込みたくなるほど歌声が洗練されていて力強く美しい。
特に圧倒的な声量、そして頭声(力強い裏声)の響きの凄さ。
サラの頭声はまるで私たちを優しく包み込む大きな海。
そう!
彼女の歌声は「クロノ・クロス」の海のように広く深いのだ。

サラの歌声には凄みがある。しかしここで重要で且つややこしい問題が生じる。

それはサラの歌声が洗練されればされるほど、技術に磨きがかかればかかるほど、
歌声は「少女らしさ」から離れていくのだ。
分かるかい?
例えば、ソプラノ歌手の歌を聞いて、私たちは感動するが、私たちはソプラノ歌手に「少女らしさ」を求めてはいない。(と思います)
歌声から少女さや可愛らしさ、あどけなさを求めるならアイドルなどの「少女らしさ」に特化した歌声を聞く。(と思います)
(まぁ皆が皆そうとは言えませんね)
これはどちらの歌手が優れているか。という話ではない。
サラが音楽に向き合えば向き合うほど、彼女の声質は凄みを増して
人知を超えていくのだ
だから彼女の歌声は海のように広く深い。

で、その問題をローラが解決している。壮大で広く、時を超えてしまうような計り知れない曲はサラが担当し、人間的で、感情的な曲をローラが担当しているのである。
2人の歌声によってこのアルバムは深みを増し、非常に人間的でありながら、どこかで人知を超えているのである。
こう言い換えてもいい
キッドの思い、苦悩、願い、希望をローラが歌い、キッドの思いや願いは大きな海に広がりを見せて、時を超えていく。その過程をサラが表現した
とな!
結局俺が言いたいこと、それは
サラとローラの良さを完璧にサルベージし見事まとめ上げ、アレンジした光田の凄さ、そしてそれに応えたサラとローラの凄さがこのアルバムの1つの聞き所である。
ということです。

音楽は時を越える

なんどもアルバムを聞き続けて光田の音楽に思いを勝手に解釈する。
(かなり個人的な解釈になります!!)

今日、音楽は私たちの身の回りにあふれ、どこでも気軽に音楽を聞くことができる。
音楽は音楽業界に限らず、ボーカロイドや様々なアプリからもつくることができ「歌ってみた」などで多様な音楽を様々な人が歌う。
更に1曲は250円程度で簡単に購入できるようになり、YouTubeなどの動画配信によって、限りなく多様な音楽はとても簡単で気軽に聞くことのできる時代となった。
また、ワイヤレスイヤホンの登場によって携帯などに取り込んだ音楽は煩わしさから解放された。

くどくど喋ってきて、なにが言いたいかっていうと、
めちゃくちゃ多くの曲が、めちゃくちゃ簡単に聞ける時代になった
ということ。

昔はクレジットカードほどの大きさのMDプレイヤーに音楽を入れていた。
ポータブルCDプレイヤーといってCD自体を持ち歩いて音楽を聞いている人もいた。
更にレコードで音楽を聞いていた時代を考えると、音楽が実に身近で手軽なものになってしまったかを痛感する。

そしてつねに新しい曲が生まれ続け、新しかった曲もすぐに過去の曲になってしまう。
それはまるでファストフードのように1つの曲が簡単に流れていくようでもある。
しかし、決して忘れてはいけないことがある。
それは
無数に存在する音楽にも生みの親がいる。
ということ。
そして
(全員が皆そうだとは言わないが)
1つの音楽をつくるのに対して、命を削るようにしてつくっている人間がいる。
ということ。
光田がその1人だ。
彼の才能はもちろん言うまでもないが、彼の1つの音楽をつくる情熱と思いは本当に凄い。
このアルバムをなんども通して聞いていると
彼が本当に真摯に音楽に向き合って身を削るようにして音楽をつくっていることが感じられる。
彼のつくった「クロノ・トリガー」の曲はこのアルバムの発売から20年前のものになる。それを彼は20年後アレンジした。
彼はずっと、「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」の世界を思っていた。
ちょっと突拍子もなく聞こえるかもしれないんだけど
俺には光田さんの音楽に対する思いが、時空を越えてセルジュに会いにいくキッドの思いと重なる気がしたんだ。
キッドは最後、時も空間も越えてセルジュに会うことを誓う。
そんなキッドの決意と祈りが光田の音楽に対する決意と祈りに似ている。
確かに今日、音楽は手軽で気軽なものになった。
1回聞いたら簡単に捨てられてしまう曲、忘れられてしまう曲もたくさんある。
しかし
1つの音楽には人間の琴線に触れる力がある。
1つの音楽が人に与える力は凄まじい。
そしてそれは
「時空さえ越えてしまうような大きな力」
であることを光田は信じているように感じるのだ。
このアルバムには「時空を超えるような思い」が詰まっている。
それはキッドの思いであるとともに光田の音楽に対する思いだ。
そして彼のつくった「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」の音楽は今でも多くの支持をうける。
私たちにとってどれだけ音楽が身近で手軽なものになったとしても
仮に音楽がファストフードのような扱いを受けることになったとしても
かつて自分の心を救った、たった1曲の音楽は私たちの心に残り続ける。
それはいくら時間が経っても消えることはない。
20年の時を経てこのアルバムから懐かしくも新しい「クロノ・トリガー」「クロノ・クロス」をもらった。

音楽が時空を越える力を持っているのだとしたら、キッドも同様に、いつか必ず時空を越えてセルジュに会える気がしてならない。

ありがとうございました。

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