BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

DIR EN GREYの「ARCHE」をベタ褒めする

 

 

DIR EN DREYは日本のロックバンドであり1999年にメジャーデビューを果たしている。そこからリリースするアルバムごとに変貌を遂げ、初期と現在では別のバンドのようだと言われるくらい音楽が変化、進化した。
私は彼らの音楽、アルバムで言えばとりわけ「ARCHE」(2014年リリース)が好きだ。
今回は「ARCHE」をベタ褒めしながら、「ARCHE」の魅力を考察し、再確認、および共有したいと思う。(断定的な発言が多いですが全て個人的な解釈であります)

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ARCHE」収録曲

1 Un deux
2 咀嚼
3 鱗
4 Phenomenon
5 Cause of fickleness
6 濤声
7 輪郭(single)
8 Chain repulsion
9 Midwife
10 禍夜想
11 懐春
12 Behind a vacant image
13 Sustain the untruth(single)
14  空谷の跫音
15 The inferno
16 Revelation of mankind

ディルはシングルでなく、アルバムで勝負してくる!

ARCHE」の魅力に迫る前に、まず彼らがつくるアルバムの良いところを挙げたい。
それはきちんとアルバムとしての世界観を作り込み、シングルではなく、アルバムで勝負してくるところだと思う。
これは、アート(絵画)の世界では当たり前で、1つの作品で世界を見せるのではなく、しっかり展示会場に作品数を揃えて、会場全体で世界観をつくっていく、ということです。
ほら!ディズニーランドだってさ、スプラッシュマウンテンだけポツンとあったら、

あれじゃん?しょぼいじゃん?

確かにスプラッシュマウンテンは楽しいけど、ホーンテッドマンションとかカリブの海賊とか、いろんなアトラクションがあってこそのディズニーランドじゃないですか!
スプラッシュマウンテンは確かにインパクトのあるシングル曲だけど、ディズニーランドというアルバムは、他の曲(ホーンテッドマンションカリブの海賊)との調和があってこそ、強固な世界観をつくりあげてるじゃないですか!

これ、つまりアルバムで勝負することって、実はものすごく難易度の高いことだと思う。
理由は曲の組み合わせによって、その曲単体でのイメージが変わってしまうから。
前後の曲がうまく噛み合わなかったり、アルバム曲が弱いと、お目当のシングルまで、スキップしてしまう経験は誰にでもあるだろう。
かといってシングル曲をたくさんぶち込んでしまうと、寄せ集めのベストみたいになる。
なのでアルバムで1つのまとまりのある傑作をつくるのには、ものすごく労力と神経がいる作業になると思う。そしてディルほどアルバムとして1つの世界観をつくりあげているバンドは少ない。

私たちはどこからきて、どこに向かうのだろうか

で、いよいよこのアルバムが放つ魅力について考えていきたい。
1周聞き終えた時の奇妙な感覚。

このアルバムを聞き終えるとなんだか、膨大な月日が過ぎ去ってしまった感覚に襲われるのだ。
なんども季節が過ぎ去って、私はは××歳になった。
それは自分の意思なのか?
それとも私はここに流されたのか?
いや違う!
自分の足で、死に物狂いでここまで必死にたどり着いたのだ!

けれど本当にそうか?

という疑問に襲われるのだ。その時感じる、悲しさ、虚しさ、軽い虚無感、浮遊感がこのアルバムの魅力だと思う!
もっと短絡的に分かりやすくいってしまえば、アルバムを聴くことで浦島太郎を実体験できるって思いました。

松尾芭蕉

月日は百代の過客にしていきかふ年もまたた旅人なり

という言葉を残している。
このアルバムから月日の経過を感じる感覚は、孤独な旅をしている感覚にも似ている。
自分の場合、「空谷の跫音」のイントロを聞く位のところで、

気がついたら自分はこんな最果てに来てしまったのか

という猛烈な寂しさを感じることができるのだ。
この辺で、
俺はここまで頑張ってきたが、自分の意思で歩いてきたのか、単に流されるままに漂流してきたのか、分からなくなる。
その時、感じる虚しさと浮遊感が、なんとも魅力的で、不思議なことに心地良いのだ。

特に雨が降っている日に聞くのがオススメです。
もう少し、詩、曲を分析してみよう。

私たちは両足で歩いてきたのか?、それとも、ここまで流されてきたのか?

このアルバムの核は1曲目の「Un duex」だと感じる。俺はこの曲がすごく好きなんだけども、この曲、ディルにしてはかなり、明るい。DIR EN GREYが明るめの曲を作るとこうなるんだーっていう変な感想が出てくる。
そうだな。
例えるなら銀座の高級寿司屋の寿司職人がつくったナポリタンを食べた時の驚きを感じる。
ここでキーワードとなるのが「大地を蹴り進め」という詩である。なんだか、京がつくる詩にしては力強い。さいご「薔薇の雨降り続く先へ、その目を向け、その先に誰が居る?」の疑問文で終わるところは京らしいが、やはりぼんやりと微かに明かりが見えるのである。
が、微かに明かりが見えるからこそ終始落ち着かないのだ。未来は霞んでいるし、なまじ希望が見え隠れするからこそ、そわそわする。

いっそ、絶望の方が楽かもしれないよ?

っていう京のいやらしさを感じる。
で、少し話がそれたが、
「Un duex」で「大地を蹴り進み」16曲目、「Revelation of mankind」ラストの曲の詩「薔薇の道無き道を歩めば色褪せない死を」で幕を閉じる。
薔薇の道なのか薔薇の無き道なのか分からないが、
少なくとも、アルバム最初と最後は「歩き進む」で終わる。

素晴らしいまとまりである。

しかし本当に楽しいのは、最初と最後で歩き進む感じなのに、途中の曲はなんだか、だらだらと、ゆらゆらと、流されているような浮遊感を感じる曲ばかりなのである。
「Phenomenon」「濤声」「輪郭」「懐春」「空谷の跫音」はそれこそ輪郭がつかみづらく、浮遊感満載で、歩き進む実感がわかないのだ。
しかも挙句あの漂流してきた感満載のジャケットがとどめを刺しにくる!

最初と最後だけ、なんか、歩いてる感がある。

この感覚が最高で、俺たちはいよいよ訳が分からなくなる。
私たちは両足で、自らの意思でここまで歩いてきたのか、
それともただただ、なすがままにここまで流されてきたのか?

歩いてきたにせよ、流されてきたにせよ、いろいんな景色を見せてもらった

もう1つこのアルバムの魅力を語る。
それは歩いてきたにせよ、流されてきたにせよ、1つのアルバムを通していろいろな景色を見せられた感覚に陥る。
濤声や懐春も情景を浮かびやすいが、地味に楽しいのは
「Phenomenon」の詩「夕立が綺麗」
と「Sustain the untruth」の詩「夕日が待つ。ゆらゆら揺れる」
の「夕」という言葉が醸しだすイメージ。
このあたりの、ぼんやりとした、オレンジ、青、灰色が合わさった景色が綺麗で、2つが別の曲であるがゆえに、時間の経過も味わうことができて、とても味わい深い。
アルケーはとても情景的で、どの景色も鮮やかではないが、しっとりと景色を楽しませてくれる。

終わりに。京の詩が音楽になったとき

京の作る詩、少なくとも「ARCHE」に限って言えば純文学的で味わいがあった。

それがすごく良かった!

具体的に言うと、
太宰治の中2な感じ、自己否定的な感じ、投げやりな感じ。
それからと谷崎潤一郎のエロティックでねちゃねちゃした感じだ。
それを足して2で割ったイメージを京のつくる詩から感じた。

しっかり、情景もあってとても奥行きのある詩で素敵でした。

で、詩だけを見ていくと、ねちゃねちゃしていて、生々しく、女々しく、未練がましく、重たい。
それはそれで楽しいんだけども、ともすれば胸焼けしそうだ。
けれど、京の書く詩が音楽になった時、つまり、5人で作り上げた音楽となった時
感想は変わる。

ねちゃねちゃしていて、生々しく、女々しく、未練がましく、重たい。同時に
潔く、清々しく、綺麗で、鋭く、刹那的で、力強く、
最高にかっこいいのだ!

素晴らしいアートは絵画であれ彫刻であれ、音楽であれ、に対義語を同時にイメージさせると思っている。
軽いのに、重い、みたいな。
アートはそんな矛盾と衝撃を鑑賞者、視聴者に与えると思っています。
あれこれ考察、感想を書かせていただきましたが、「ARCHE」というアートに出会えて至福でありました。
ありがとうございました。

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