BETABOME(ベタ褒め)FACTORY

自分を褒めて。同時に他人も褒めて。色々感じたことや考えたことを書きます。

アート「アートは誰の為にあるか」

Hi。
自分は子どもの頃、アニメや漫画、テレビゲーム(RPG)が好きで、アニメや漫画の「絵」やRPGの「物語」に夢中になった。
そして学生になると音楽を貪るように聞いた。
俺の好きなモノの共通点を探す。
俺の好きなものの共通点。
それはズバリ
「アート(芸術)」
絵画はもちろんのこと、アニメや漫画、ゲームも自分はアートだと考えている。
そして今現在、俺はそれらに影響を受けて絵(絵画)を描いている。

当初このサイトでは、自分がめちゃくちゃ影響を受けた大好きなもの(アニメやRPGや音楽)を「ベタ褒め」していく予定だった。
しかし、それだけでは物足りなくなった。
自分の気に入ったアニメや音楽などの作品を「ベタ褒め」するだけでなく、自分が携わってきた「アート」について自分の考えをまとめ、発信したくなった。
そうすることで多くの人にとって少しでも「アート」が身近な存在となり、まるでラーメン屋に入るかのように、気軽に「アート」を楽しんで欲しいと思ったのだ。
「アート」に触れることで、その作品から、何かを感じたり、考えさせられたり、癒されたり、不思議な気持ちになったり、様々な感動を味わうことができる。
「アート」ってモノが堅苦しいものではなく、素敵なモノだよって伝えたい。
より多くの人に「アート」の魅力を伝えたい!
そして「アート」が一部のマニアや批評家だけでなく、もっとたくさんの人たちに受け入れられたら、これほど嬉しいことはない。
そんな主旨の下、「ベタ褒め」と並行してこれからは「アートの魅力」「アートの見方」などについても皆様とシェアしていきたい。

前置きが長くなってしまったが、今回のテーマは「アートは誰の為にあるのか」です。
、、、あれです。
決して「ベタ褒め」する作品がなくなったからではナイヨ。
いわゆる「ベタ褒め」のネタ切れではナイノダヨ。
なお、今回はゲームを「アート」とすると話が分かりづらくなるので
絵画や彫刻、インスタレーション、演劇や身体表現などを「アート」として話を進めていきます。

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 私たちにとってアートは絶対に必要な物ではない。

本題に入っていきましょう。
皆は「アート」という言葉を聞くと、どのようなイメージを持ちますか?
あえて「アート」に対して否定的なイメージをあげるならば、
堅苦しい
「よくわからない」
「意識高い系」
「変な人が多い」
など、だろうか。
当たり前の話だが「アート」に否定的な人、「アート」に興味がない人は「アート」がなくても生きていくことが出来る。
うん。
そりゃそうだ。

けれど、これが「食事」だったらどうだろう?
私たちは食べ物を食べなければ飢えて死んでしまう。
いくら食事に興味がない人でもそれは変わらない。
お腹は必ず減るのだ。
で、
ぐぅとお腹が鳴った時、お金さえあれば私たちは、焼肉もラーメンもカレーライスも、ケーキも食べることが出来る。
そしてお腹を満たして幸福感を得る。
「食事」は人間にとって必要不可欠なものなので、どれだけ食事に興味がない人でも「食事」に関わらなかればいけない。
しかし、悲しいことに「アート」は違う。
「腹がやばい!腹減った!!!早く何か食べないと!レストランはどこだ!死ぬー!!」
これはあり得る。
しかし
「マジでヤバイ!!!死ぬ!アートはどこ!!!早くアートと関わらないと死ぬ!!!早くっ!」
とはならない。
だから、私たちにとって食事は絶対に必要なものに対して「アート」は絶対に必要な物ではないのだ。
私たちにとって「アート」は絶対に必要な物ではない。
これが前提条件である。

アートは誰の為にあるのか

前提条件として私たちにとって「アート」は絶対に必要な物ではない。
少なくとも食べ物に恵まれ、娯楽の多い現代の日本ならば「アート」がなくても、
「人によっては」
楽しく豊かに生きていくことは可能だ。
では、アートは誰の為にあるのだろうか?

先に結論から言います。

俺が思う「アート」が必要な人
繊細な人
感受性の強い人
何気言われた人の言動に傷つきやすい人
一般的な考え方が苦手な人
集団行動が苦手な人
理由はハッキリしないがなんとなく生きにくいと感じている人
精神的に落ち込んでいる人
病気を患っていて自分が思うように体が動かない人
です。
毎日仕事でバリバリ稼いで、休日は多くの友人や家族とアウトドアやスポーツを楽しむ。自分の生き方に疑いはなく。毎日がハッピーで燃えている。
確かにこんな生き方ができれば最高だ。
そしてそれを実現している人も世の中にはたくさんいる。
(とても素晴らしいことです!否定していません)
しかし、そういう生き方ができない人間もいるのだ。

人を大切に思うがあまり自分の意見を殺して必要以上に責めてしまう人
学校や会社の人間関係に馴染めず、孤独感を感じている人

理由は解明できないが不安で夜、眠れず心が押しつぶされそうになっている人
他人となんとなく考え方が違うことに違和感を感じている人
バリバリ仕事をして成果を上げたくても、病気や精神的な問題でそれが叶わない人

など。
具体例を挙げればきりがないが、
人の体と心のコンディションは1人1人、実に様々なのだ。
これは単純に明るい、暗いの性格の問題でもなければ
陽キャ陽キャラクター)、隠キャ(隠キャラクター)とかいう問題でもない。
希望や絶望で割り切れる問題ではないのだ。

人は単純な生き物ではない。
それぞれに「悩み」があって同時に「思い」がある。

で、
なんにも考えない人
無神経な人
人を傷つけてもなんとも思わない人
彼らに「アート」は不要だ。
だけど、その逆な人。
思いやりのある人
優しい人
繊細な人
精神的に落ち込んでいる人
病気を患っている人
こういう人たちって実は案外多い。特に最近はそう感じます。
そんな人たちには是非。
「アート」をおすすめしたいです。
「アート」にはJPOPの歌詞のような
「元気っ!元気っ!元気がイチバンッ!」
みたいなノリはない。
(なんだこの歌詞)
もちろん触れる「アート」自体も選ばなければいけないが、触れることで、何故か不思議とスッと気持ちが楽になる作品に出会えるかもしれません。
ということで、「アートは誰のためにあるのか」というテーマについて考えてみました。

ありがとうございました。
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